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三亜の文化

   「三亜」とは三亜河の東西二河が合流して「Y」の字形になることから「三亜」と名付けられました。三亜市は昔は崖州と呼ばれ、中国の最南端に位置していますが、中原文化の影響を深く受け、輝かしい文明を持っています。三亜文化の歴史は古く、起源が秦の時代で、秦の始皇帝は三亜を象郡としました。素晴らしい島の風景があるため、「東洋のハワイ」の異称もあり、海風情を含んだ地方文化もあります。


   1万年前、断髪タトゥーの海南島先人たちは三亜大地で輝かしい先史文明——「落筆洞文化」を創造しました。落筆洞には多くの火遺跡が残り、灰層が厚く堆積し、大量の焼石や骨が散乱していました。これは当時の落筆洞人が火を使用していたことを示しています。また多くの生活シーンの遺跡があり、落筆洞人の狩猟、漁労、採集、火を用いた生活の場面を訴え、原始的な穴居生活し、海南島の古文化を創造しました。


   リー族は海南島の最初の民族で、古代の百越に由来します。秦、漢以前には「駱越」一部が大陸から海南島に渡り、3000年以上の歴史があり、ここで自分の民族文化を創造しました。リー族の伝統的な社会はまだ完全な宗教体系を形成しておらず、原始宗教の段階にあります。農業を主とし、女性は紡織に長じ、「リー族錦」、「リー族単」は世に知られています。今でも少数のリー族の年寄り婦人の身に希な古い文化の遺存図案タトゥーを見ることができます。彼女たちの顔や胸、手や足には図案が残り、「人体に刻まれた敦煌の壁画」と呼ばれています。


   中央政府から遠く離れ、大陸の端に位置することから、古来三亜は「天地の果て」と呼ばれていました。そのため、ここは中原に対し経済、文化面では全く遅れていました。有名な唐僧鑑真、海に出て日本に仏教を伝え、海で遭難し、一時三亜に漂着しました。その後、大雲寺に1年間滞在し、現地に多くの中原文化と科学技術、医薬知識をもたらし、地元の発展を促しました。現在、三亜には「経典を干す坂」、「大小洞天」などの鑑真遺跡が残っています。

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