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新疆ウイグル自治区の民族風情

   新疆ウイグル族自治区はウイグル族を初めとして47の民族が居住する多民族地区です。ウイグル族以外に漢族、カザク族、回族、キルギス族、モンゴル族、シボ族、タジク族、満族、ウズベク族、ロシヤ族、ダフール族、タタール族、合わせて13の民族が主な民族とされています。このため中国の五つの少数民族の自治区の一つだ行政において設けられています。


   各民族が長い歴史の中でそれぞれ独自の文化や風俗習慣、伝統行事を形成し大事にしています。これらの民族のアイデンティティと言われた行事はみずからの民族の歴史や文化などと切っても切れない関係にあり親しまれています。近年観光開発につれ各自の民俗行事が人気のある観光資源にもバリエーションし更に人気が集まりました。次に新疆の主な民族の祭日をご紹介します。


1、イスラム教についての祭日

   新疆ではイスラム教を信奉するウイグル族、ウズベク族、回族などは毎年必ず三大行事を盛大に行う慣わしがあります。それはラマダーンと犠牲祭、聖記節です。「ラマダーン」とはイスラムの暦では信者たちが必ず一年の九月を「禁食」の月にして昼間みんな飲食せず日が沈んでから飲食すると決められています。この一か月が終わり9月29日(イスラム教の暦による)の晩、三日月が見えると翌日を「犠牲祭」と宣言して迎えます。(あるいは一日延期する)この日になるとムスリムたちが皆沐浴し、近くのモスクに足を向け礼拝の儀式をします。司式僧の授業を聞いたり、亡くなった人を悼んだりします。それから皆一斉に年配の方などの家をまわりお見舞いをします。家という家はドライフルーツ(特にアーモンドの類)や油揚げ、飴などを用意して来客を招待します。家により羊を潰してお供えをする場合もあります。若者が集まり歌や踊りを楽しんだりします。この外にカザク族やタジク族、キルギス族などがこの犠牲祭に合わせて「羊奪い」、馬競争、アーチェリーなどのイベントを行います。またこの日を利用して結婚式を行うカップルも現れます。


   イスラム教と関係のある祭日が「聖記節」と呼ばれ、イスラム教の暦では3月12日とされます。3月12日はイスラム教の創始者であるマホメットの誕生日でもあり、また亡くなった日でもあるから祭日に定めたわけです。この日になると信者たちがモスクに集まり沐浴をして白い服に着替え、礼拝活動を挙げたあと司式僧の授業を聞いてモハメットの功績を称えイスラム教の創設についての話を教えられたりします。


2、カザク族の「納吾熱孜」の節句

   カザク族の人々は「納吾熱孜」の節句を過ごします。「納吾熱孜」というのがペルシャの言葉で「納吾」というのが「新しい」という意味で、「熱孜」とは「年」の意味です。「納吾熱孜」とは「新年」のことになります。「納吾熱孜」はカザク族にとって一年の新年を迎えることになります。研究によるとシャーマン教を信奉する民族が十二支(干支)で一年を表しており3月22日はカザク族では「春分の日」に当たります。この伝統的な祭日を過ごすため人々が植樹したり、詰まった用水路を通したりします。それにきれいに家の中を掃除して美味しい料理を作り来客をもてなします。美味しい料理といえば何と言っても「納吾熱孜のおかゆ」を作らないといけません。なぜかというと「納吾熱孜のおかゆ」は幸せ、知恵、成功、健康、財産、神様からの庇護などを表しています。カザク族では「納吾熱孜のおかゆ」を必ずいっぱいに食べると来年の生活は幸せもいっぱいになると信じているからです。この外にカザク族はこの祭日に当たり「納吾熱孜のご飯」も丁寧に作る習慣があります。このご飯は原料にこだわりがあり、水、米、粟、塩、肉、面、ミルクの塊という七つのものがないとならないです。話しによると「七」がカザク族にとって縁起のいい数字であり、幸せな生活が送れるように念願する意味が込められます。またこの「納吾熱孜のご飯」を炊く鍋が必ず四つの耳(取っ手)がないとならないです。ご飯を炊く時、羊の脂身を四つの取っ手に掛けておきます。その原因はカザク族が遊牧民族なので、こうすれば一年の四つのシーズンでもスムーズに行けると信じており、そして年々肉が食べることができると考えられます。「納吾熱孜のご飯」を食べることが団結やお互いに助け合うなどの意味を表し、調和のとれる一年を過ごそうという願いが読み取れます。


3、モンゴル族の「麦徳尓の節句」

   モンゴル族はみずからの「麦徳尓の節句」を過ごします。「麦徳尓」とは仏教の中の弥勒仏であると考えられます。毎年の旧暦の1月15日が麦徳尓の誕生日とされます。モンゴル族の仏教では「麦徳尓」が仏教を伝播し、人々の苦しむをなくす神様だと崇められました。「麦徳尓」を信仰するのが900年間続いてきました。昔のモンゴル族が遊牧民族なので最大な集会を開くことが難しくてラマ教のお寺で行うしか出来なかったのです。昔お寺の住職は主催して開催されたものでしたが、現在、各地方の政府が主導し開催することに変わりました。「麦徳尓の節句」は今モンゴルの伝統的舞踊や現代のライフスタイルを示す縁日にも発展しています。「麦徳尓の節句」はモンゴル族の大事な祭日としてこの日になると農村であろうと牧場であろうと馬や駱駝に乗るうえ、晴れ着を身に纏いお寺に集まってくる人々が「麦徳尓仏」を礼拝してご利益を求めます。ラマたちが帽子を被り、厳かな雰囲気の中でお経を読んだりする光景が印象深いです。外はお香を燃やした煙の中で太鼓や銅鑼を鳴らして賑やかな雰囲気とばかりに溢れます。「麦徳尓の節句」はいわばモンゴル族の最大の縁日なのです。


   「麦徳尓仏」を礼拝する儀式は一人の年長者に引率された人々がお寺の前で一列に並びます。両手を額に付けて跪いて拝みます。それから持参した供え物をテーブルの上に飾り供養します。その後それぞれ「麦徳尓仏」の画像とお寺を右巻きに一回りをしてからこそ儀式が終わることになります。最後に新年の挨拶などを交わします。


   「麦徳尓仏」の礼拝に合わせ、馬競争や相撲、アーチェリーなどのスポーツ大会を挙げ、会場に詰めかけた人々で賑わいます。誰もが「麦徳尓仏」に対する気持ちが恭しく来年につながるご利益をもたらしてくれると信じているに違いないです。時代の発展にともないこの儀式がお互いに新年の挨拶をする伝統的な祭日に定着しました。


4、シボ族の「西遷節」

   シボ族の「西遷節」は毎年農歴の4月18日に定められております。記載によると乾隆29年(西暦1764年)農歴4月18日に4千人余りのシボ族の兵隊とその家族が屯田と国境を守る使命を果たすよう朝廷から命令を出されたということです。彼らが盛京(今の瀋陽)から出発して幾千里にもかかわらず計り知れない苦労をなめて今の新疆の伊犁地区に辿りつきました。これに因み後世のシボ族の人々が毎年の農歴の4月18日になるたびに、さまざまなイベントを展開し先祖の功績を称えるとして「西遷節」という祭日に決めたのです。「西遷節」で披露されるイベントにキャンプフェアや武術比べ、アーチェリー、歌、舞踊などが挙げられます。歌にはソロとコーラスがありいずれも「西遷」の物語りをテーマにして編集されたものです。更に綺麗な民族衣装を身に着けたシボ族の人達が「東布尓」(シボ族の独特の弦楽器で琵琶に似ている)を弾き、「黙克調」(シボ族の節回し)を演奏します。このリズムに合わせて思う存分に「貝勒恩」(シボ族の舞踊のスタイル)を踊って見せる若者がバイタリテェーに富んでいます。踊りのスタイルの中で女性の「抖肩」(肩動き)や男性の「鴨歩」(ダック歩き)は特に見どころとなり忘れられないです。とにかくシボ族の舞踊は豊かな歴史こそ育むことができる文化遺産だということが分かります。


5、タジク族の「巴羅提節」(点燈節)

   「巴羅提節」(点燈節)は新疆ウイグル自治区のタスクルガン地区で昔から伝えられた伝統行事です。イスラム教の暦によるラマダンの一か月前の8月に行われた行事であり、二日間にわたり続くものとしています。その夜から幕を開けて家という家で特別仕様した「蝋燭」に火をつけたことから「点燈節」と呼ばれています。実はどの家庭でもこのような「蝋燭」は小さいものを何十本、太いものを一本用意しなけばなりません。蝋燭の芯が高山で取れた草で造ったものであり、外側に綿花で巻き付けトーチ状にしておきます。それからバターか羊の油かにたっぷり漬けます。祭日の夜、家族揃ってオンドルに砂を乗せたプレートを囲んで座ります。それから家族全員が世代により順次に「蝋燭」をプレートの沙に差したあと蝋燭に向けて祈祷する流れとなります。祈祷の目的としてアラーからの祝福を求めることです。祈祷が終了すると家族全員が明るい「蝋燭」の下で豊富な夕食の料理を楽しみながら新年についての挨拶を交わしたりします。祭日が終わった後にも家の玄関口に「光」と「幸福」を象徴する明かりを付ける習慣があります。それから事前に用意した一番太い「蝋燭」を付けて建物の屋根に飾っておきます。家族全員が「天燈」と呼ばれたこの「蝋燭」に黙祷を捧げるとします。これと同時に家の前で厄払いの焚き火をすることを忘れてはならないです。若者たちが焚き火の周りに心ゆくまで歌ったり踊ったりして一夜を明かします。


   翌日の夜、家族全員がお墓参りに出かけ、年長者が亡くなった人に3本ずつの蝋燭を付け、羊の肉やお菓子を並べ死者の御霊を迎える灯を皿に差して先祖供養をします。それから家族一同が跪いて死者の霊に向かい一年の無病息災を祈祷するとします。祈祷の儀式が終わった後、みんなが先祖供養に使ったものを交換して全員で新年の喜びを挨拶しながら夕食に進みます。


   「点燈節」のほかに、タスクルガン地区では昔から伝えられた「種蒔き節」も有名です。タジク族が厳しい自然に耐えられるようにみんな力を合わせて農業生産に取り組んでいくという伝統があります。「種蒔き節」は毎年春の種蒔きを迎えた初めての日に当たり行なわれた儀式です。その日村人全員が麦の種を持ち寄り、村の一番の年長者を推薦して麦の種を蒔いてもらうとします。推薦された年長者が微笑みを浮かべて口の中で何かを言いながら田圃で待っていた人たちの方に次から次へと蒔き散らていきます。人々が皆上機嫌になり襟を広げてこぞっとして麦の種の落ちるところに集まってくるのです。この種蒔きが終わると今度は一頭の牛を連れて田圃で形的に田を耕すポーズを作ってみせます。そして犂の刃などに象る面類を牛に食べさせこれから農耕に使う牛を労う意味を表します。みんな心から春の種蒔きの順調を祈願し、秋の大豊作に繋がるように期待するものです。


6、ロシヤ族の「パスカ祭り」

   新疆地区に居住しているロシヤ族はギリシア正教を信仰し一年に「クリスマス」と「復活祭」という二つの祭日が取り上げられます。「パスカ祭り」とは「復活祭」という意味であり、キリストの復活を記念する祭日です。「バイブル」の記載によるとキリストがクロスに釘付けられ三日間して蘇ってきたということです。ロシヤ族の皆さんがこれを記念するために毎年春分のあと満月を迎えた初めての日曜日になると「パスカ祭り」を過ごすことになります。具体的な期日が定かではないですが大体四月上旬に当たります。


   実際「パスカ祭り」を迎えた一周間前からその準備を始め、みんな肉なども食べないばかりではなく娯楽イベントも禁止されています。受難に苦しめられたキリストのことを考えているからだそうです。祭日になるとすべて解禁されみんながめかしこんで、いろいろと美味しい食べ物を用意しておきます。キリストの復活を迎えた嬉しい気持ちでお互いに訪問したりします。どの家も豊富なお菓子のほかカラフルなゆで卵もいっぱい用意しないといけません。来訪客がまずホストにキリストの復活の喜びの挨拶をするとしており、ホストがカラーのゆで卵を一つ来訪客に配り、お祝いの気持ちを表します。訪問中にホストと来訪客がカラーのゆで卵でお互いにぶつかりあうゲームをして勝敗を決めて面白いです。客さんが席に着いてからホストが美味しい食べ物と飲み物を出して招待することを約束とされます。中に高さ30センチ、直径20センチほどの円形塔状のパンがあり表面がきれいなクリームと光って見える砂糖に塗りつけられており、成分として砂糖、油、卵、ミルクなどが使われているから、見た目がきれいだけではなく柔らかくて食べやすいです。ふつうホストがこのパンをスライスにして来客に食べさせ、話によるとこのパンを食べたら幸せがもらえるということだそうです。


   祭日の翌日になり、人々が広い場所に集まり若者が思う存分にアコーディオンやギター、琴などを弾き、女性たちが古いロシヤ族の軍歌を歌うと同時にリズムの強いタップ・ダンスに意気込んでいます。みんなが年齢と構わずお互いに誘い合い登場する場面がウェーブのようになります。たまにはこのようなイベントが深夜まで続き、会場があたかも歌や踊りの海のようになったと言えます。


7、満族の「頒金節」

   「頒金」とはもともと満族の言葉であり、「満族」と命名された日のことを言っています。西暦1635年10月13日に、ヌルハチの息子の皇太極(ホアンタイジ)が自らの民族の名称だった「女真」を改めて、初めて「満洲」と改名しました。そこで皇太極(ホアンタイジ)は満州人がこの日を記念するために大事な祭日に定めて祝うことを宣言したのです。新疆地方に居住している満族の方々が毎年旧暦の10月13日に必ず集まり、歌を歌ったり、舞踊を披露したりして盛大にこの祭日を過ごすことになっています。会場に集まってきた満族の人たちが音楽に伴い民族らしい服装を身に着け、女性が頭に満族風のかんざしを被って伝統的な民族舞踊を展開して見せてくれます。ふつうミルクティ―やお菓子、御餅などの食べ物を用意し来客に食べてもらいます。この外に満族出身の画家や書道家、芸術家、カメラマンなども顔を出して自らの素晴らしい技で祭日の賑やかさを増幅させようとします。



新疆の各民族の民俗


先ず飲食について

   新疆ウイグル自治区ではイスラム教を信奉する民族が多くて彼らの主食が面や米を中心としており、牛や羊の肉しか食べません。豚肉や驢馬の肉、猛禽の肉など一切食べないとしています。また動物の血も食べてはいけません。新疆ではイスラム教の信者の居住地区なら必ず彼らが食べられるモスク風味のレスランが開設されています。そしてすべての食器や炊事道具などが漢民族のと別々にしまっておき、混同してはならないとしています。モスク風味のレストランに出す牛や羊の肉を信者がみずから潰したものではないといけません。絶対豚肉と一緒に輸送したり、貯蔵したりしたことができません。レストランの従業員もふつう信者がみずから担当することになっています。


次に礼儀作法について

   少数民族たちが礼儀を重んじており友達が会う場合、普通握手をして挨拶するとします。ウイグル族やカザク族の皆さんは先輩や年配の人に会う時、ふつう右手を胸の前に付けて上半身を前に30度屈め「サラマリコン」(ではお達者に!)と挨拶します。これらの民族の年配の方々は人の家庭を訪問した時や食事をする時、ふつう両手で顔を触り祝福の気持ちを表すジェスチャ―もあり、これが「都瓦(ドワ)」と言い、もともと一種の宗教儀式だったそうです。時には普段会う時にも「ドワ」というジェスチャ―で挨拶することもあります。


第三、相手を呼ぶ場合について

   新疆の各民族は、お互いに上下尊卑の区別がはっきりしています。その中でウイグル族、カザク族、ウズベク族の相手を呼ぶ時によく使われた用語として次のように分けられています。若者が年長者を呼ぶ場合、「ダダ」(おじさん)、「アナ」(おばさん)と言うのです。それに自分より少し年上の人を呼ぶ場合、「アカ」(お兄さん)、「アチャ―」(お姉さん)と言うのです。自分より年下の人に対して「ウカン」(弟)、「センガル」(妹)とそれぞれ呼ぶのです。同性の若者同士は「アダシ」と呼び合うのに対して役人や軍事を呼ぶ場合、「ヤルダシ」(ⅹⅹ君)というのです。子供を呼ぶ場合「バラン」と発音するのですが、ただし若者を呼ぶときは普通「バラン」と言わない方がいいです。さもなければ相手の不愉快になるから注意した方がよろしいです。


第四、葬儀について

   イスラム教を信奉する民族は一般的に土葬が流行っています。宗教関係者からまず死者の体を洗い、それから白い布に包めてから墓地に運んで埋めるという流れです。墓地には女性や信者以外の人が行くことは禁止されています。それから一周忌や40日目、一年忌になると家族が死者を悼むイベントを行い司式僧にコランを読んでもらう同時に、友人にご馳走するとしてこの儀式を「ナイズル」と言います。

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