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おそらく現在でも一部の外国人(日本人も含まれる)では、「中国人はキリスト教の信仰が保障できますか。」と疑問を持つ人がいるかもしれません。「たとえ信仰ができるといっても政府のあまりにも厳しい監視下に置かれるものに過ぎないだろう。共産党政府がよく教徒を迫害しているじゃないですか。」など不安に思っているでしょう。やたらに中国の宗教の信仰を憶測する人も出るかも知りません。確かにこの方面についての記事なども少なく対外的な宣伝も足りないことから、外国人からの誤解を招くのが無理もないことです。そこでわたしが... [詳細へ]
訪問者(1538)
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 1983年6月に、広州市越秀区解放北路に位置する象岡山の工事現場で、世間を驚かすほどの大発見が起きました。それは2100年ほど前の国王の古墳の大発見なのでした。この国の名前が南越国と呼ばれ、古墳に埋めた国王の名前が趙眜(チャオモウ)と呼ばれました。国の都が「番禺」と呼ばれ、つまり、今の広州市に当たりました。趙眜(チャオモウ)は南越国の二代目の国王であり、初代の国王の趙佗の孫でした。記載によると祖父の趙佗が百歳ほど長生きし、息子の方が先に死んだということから、国王の座が自然に孫の趙眜に引き継... [詳細へ]
訪問者(2030)
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2012年10月29日    中国文化
広州の陳氏書院は陳家祠とも呼ばれており、広州市中山七路にあり、地下鉄の2号線で直接「陳家祠」駅で降りればよろしいです。アクセスが大変便利です。陳氏書院は清の光緒年間(1890年)に工事を始め、1894年に約4年掛かりで完成させたものでした。当時、広東省72県の各地に住んでいた陳という名字の一族が寄付により共同の先祖祭祀に使う場所として、出資して建てたものでした。一部の部屋が生徒の勉強のために使われたことがあることから陳氏書院とよばれました。敷地面積が延べ15000平方メートルもある陳氏書院は広... [詳細へ]
訪問者(2053)
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 広州市内を流れる珠江の北岸寄りには昔、川の小さい中州には過ぎなかった0、3平方キロメートルの小島はありました。最初の名前が拾翠洲と呼ばれました。ここがもともと、珠江の水に流されて出来た砂丘なので「沙面」とも呼ばれました。宋、元、明、清の各時代にわたり、国内外に通じる埠頭と観光地として利用されました。 1857年に起きたイギリスとフランス連合軍によるアロー事件(第二次アヘン戦争の一部)で、沙面島はイギリスとフランスの租借地として不平等条約により弱腰の清朝から強要するようにされました。そこで1... [詳細へ]
訪問者(2337)
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 三江県は中國五つの(侗)トン族自治県の中でもっとも人口の多い県であり、桂林から179キロ離れています。私たちツアー一行が2012年9月ある日の午後3時ごろ、龍勝県の雄大な棚田で有名な龍脊観光地をあとにしました。観光バスがおよそ1時間半かかり、途中龍勝県を経由し、夕方5時ごろ、三江県に到着しました。宿泊先が三江県にある一番良いとされる「三江県風雨橋国際大酒店」でした。私たちは待ったなしという気持ちでホテルにチェックインしたあと、すぐホテルの側に高く聳えた三江鼓楼を見に行くことにしました。  三... [詳細へ]
訪問者(2034)
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