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2012年05月11日古めかしい千年古村ー江頭村

桂林市の北の郊外部には歴史の長い古い村が一つあります。村の名前は江頭村と言います。江頭村は桂林市霊川県九屋鎮に属し、九屋鎮から500メートルぐらい離れて、既に1000年の歴史がありました。村には元、明、清の三つの時代の家が180軒残っています。元と明の家は低くて、狭くて、暗いという感じですが、清の家は高くて、広くて、明るいというイメージがあります。そこでは清代の特色のある「閨女楼」、「公子床」「秀才街」、「挙人巷」などが楽しめます。
江頭村は中国の北宋時代の大変有名な文学者、哲学者、理学の創始者周敦頤の故郷です。周敦頤の代表作の『愛蓮説』は中学校の教科書に編集され、中国の人々によく知られています。周氏家族の後裔周敦頤氏の「愛蓮思想」を承り、「真誠、和諧、積徳、行善、奉献」の「周氏愛蓮文化」を創建しました。明、清以降、「門開通徳、家承煬書」と言う祖先の訓示に従って、村で教育を運営しました。それによって、村の中で学習のブームになりました。江頭村は歴史で人材輩出した所です。村では相次いで100人の人は秀才、数十人の人は挙人の科挙試験に合格できました。それにたくさんの人が偉い官吏になりました。
初夏の桂林はちょっと蒸し暑くなってきました。先週の土曜日、私たち桂林天元国際旅行社の一行八人が江頭村へ行きました。朝の9時にみんなは会社の所在地の「甲天下広場」に集まり、出発しました。桂林市の中心部から32キロぐらい離れています。40分ぐらい車に乗って、江頭村につきました。
2006年の時、一度来たことがあります。あっという間にもう6年間すぎました。時間のたつのが早いなと感慨深く思いました。村の前に流れている渓流―護龍河は相変わらず水が澄み切っていました。青々しい水の藻が水流に流されて、絶えず揺れていました。水面に川の特有ないい匂いが漂っていました。これを見て、心の洗濯がされたような気がしました。村の中はとても清潔で、静かでした。村の家はほとんど素朴典雅な明、清時代の青煉瓦の建物です。細長い巷の路地はみんな卵石で敷かれています。地面と壁の上に緑の苔が生えていて、歳月の滄桑を読み取りました。奥深い巷を歩く途中、一人も会いませんでした。こんな所に身を置れて、今はどこ、いつの時代だと瞬間彷徨ってしまいました。
一時間の見物はあっという間に終わり、もう帰らなければならなくなりました。「さようなら!純朴で善良な江頭村の村人の皆さん、さようなら!江頭村の一木一草、また来るの元気でな」と名残惜しく別れの挨拶をしました。村の近くの護龍河は数百年前と同じように静かに流れていて、私たちを見送っていました。

 

 

 

 

 


 



 






 

 

 

 



 

 

 

 

 

護龍橋のすぐ傍にあるこの煉瓦造りの塔は「字厨」という面白い名前を持っています。文字に対する尊敬な意を表すために村では字の書いた紙は捨てることが禁じられ、旧暦の一日と十五日に「字厨」まで持ってきて、丁寧に焼かなければならないと決まっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 みんなは真面目にガイドの説明を聞いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村の近くを流れ通るこの川の名前は護龍河といい、灕江の支流です。 お婆さんが孫を背負って洗濯する場面を見て、懐かしかったです。中学校の時、家族全員の洋服を洗濯するのは毎日の日課でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



「愛蓮家祠」は光緒八年(1882年)に建て始まり、6年間かかって、光緒十四年(1888年)に完工しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
これは周敦頤が書いた「愛蓮説」の全文です。中の「出淤泥而不染、濯清漣而不妖」(泥から出でて染まらず、清漣に洗われても、色っぽくありません。)と言う言葉は花の中の君子ー蓮の上品な品質を賛美することによって、中国の文化人の中で非常に有名になりました。

 

 

 




 

 

 

 

 

              石の 金魚鉢です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この石彫はどんな意味が入っているのでしょうか。石のベンチですか。

 

 

 

 

 

 

 

 





これは鳳凰ですか、ちょっと違いますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは何に使うのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは中国っぽい石彫ですね。これは花鉢を置くために使っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓格子は色んな字のように作っています。一番上の字は「循理」です。外には「慎言」、「賢」、「親」などの字があります。毎日字の内容の通りに反省するためだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは「挙人巷」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「進士街」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


江頭村には「このような扁額は200余りあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この苔の生えた庭が気に入りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水面に映っている影は昔の銅貨のように見えるので、この井戸は「金銭井」と名付けられています。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは「聡明井」です。この井戸の水を飲んだら頭が良くなるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この石橋はもう五、六百年の歴史があります。真ん中の所はよく歩いたのでつるつるしています。橋の向こうには筆置きの山」と「印鑑山」がつながっているので江頭村から出た官吏はほとんど文官だったそうです。

訪問者(1629)
コメント(1)
作者: 「ふれあい中国」
 

コメント

1桂林2012/05/15 08:30

陸さん 久しぶりですね。青海の旅行祭りに参加されていたようですね。青海は、桂林空港から直行便が飛んでいませんようで。南寧、もしくは昆明から行くことになりますか。鍾乳洞の写真見て、スケールの大きいのに驚きました。日本にはこのような大きな鍾乳洞は見当たらないですね。あっても秋吉台(山口県)のカルスト台地にある鍾乳洞を見るぐらいですね。桂林の鍾乳洞も見ごたえありますが、中国各地にまだまだ未知の鍾乳洞があるのかもしれませんね。若葉の季節に、桂林近郊の霊川の江頭村を訪ねられ、中国の士大夫の世界を垣間見られて感慨深かったことと思います。「進士街」、「挙人街」など狭い路地に異様な「ウダツ」が挙がって甍を争っている感じです。それにしても、「解元」、「奉政大夫」、「「知縣」の額を門の入り口に飾り、「挙人」に挙げられた家柄を誇示して子孫に残していく姿、なかなかの文人村とお見受けいたします。文官の正四位、正七位 を授かるなど、学問を大切にしてきた村の誇りが息づいています。桂林の「貢院」で3年に1回行われる「郷試」、「会試」に臨む青衣を来た若者が、溌剌としてこの村から桂林に向かったことを思うと我ながら感慨深いものです。村の「笈を背負」いて、後に錦を飾って里帰り。男児たるもの、何時の時代も努力し、栄達を得なければならないのですね。興安の運河を見たあと、帰りに寄りたくなる江頭村です。

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