中国のシルクロード10日間の旅の(二)陝西省保鶏市に所轄する岐山県にある「五丈原諸葛亮廟」のご案内
2012年08月03日中国観光ガイド
「諸葛亮廟」は三国時代の末期に建て始まり、元、明、清の時代に何回も立て直されました。現在は基本的に明清時代の建築の風格を残っています。「諸葛亮廟」は前後二つの部分に分けています。前半部はそれぞれ山門、鐘鼓楼、献殿、八卦亭と主殿からなり、後半部は落星亭、碑廊と諸葛亮衣冠塚からなっています。建物全体は南北方向に走った中軸に建てられています。
駐車所のの入口に二匹の龍が見張っています。
ここが千八百年ぐらい前に「五丈原の戦い」が起きたところで、当時の痕跡は完全に見えなくなりました
「五丈原」の一木一草が無言のままでここに来た人々に当時に起こったことを語ったようです。
毎年の旧暦2月20日の日には地元の人が大勢ここに集まり、諸葛亮を祭祀する儀式を行ないますが、普段はちょっと寂しいです。
「五丈原諸葛亮廟」の玄関は清の時代の光緒4年に建てられ、正門と東西耳門からなっています。玄関の前の二本の柱に「一詩二表三分鼎、万古千秋五丈原」という対聯を書いてあります。
玄関の両側に鹿と鶴の石彫りがあります。
正門の軒下に「忠賢雲霄」と書いた横額が飾られています。
右と左に「魏延」と「馬岱」の彫像が飾られ、山門を守っています。
祭殿は元の「至元」初年に建てられています。軒下に「五丈秋風」と書いた横額が飾られています。両側の柱に飾られた「三顧許馳駆、三分天下隆中対、六軍彰討伐、六出岐山綱目書」という対聯は諸葛亮の一生のことをよくまとめました。
東西両側の壁の上方には「三国志」の物語の絵が描かれています。下方の壁に宋代の民族英雄岳飛の書いた諸葛亮の前、後「出師表」の石碑がはめ込まれています。石碑は清代の中国の北西部の大変有名な彫刻家の樊登雲が彫ったものです。この石碑は諸葛亮廟の「三絶碑」と言われています。
ちょっと派手ですが、中国建築の伝統的な特色を持つ建物です。
祭殿と正殿の間にある八卦亭は清の光緒年間に建てられたのです。
正殿は三国の末期に建てれれたのです。
「落星亭」にある「落星石」という石があります。 234年、54歳の諸葛亮は長年間の疲れで、「五丈原」の軍営での中でなくなりました。伝説によると諸葛亮が亡くなる前に東北の方向の空から明るい流星が諸葛亮の軍営の近くに落ちたそうです。そのことを記念するためにその石の落ちたところを「落星郷」と名づけました。
「 諸葛亮衣冠塚」は正殿の西南側の松柏の林にあります。諸葛亮が亡くなった後、蜀軍はひっそりに諸葛亮の遺体を「漢中」まで運んで、勉県の定軍山の麓に埋めましたが、記念のために「五丈原」で諸葛亮の衣冠塚を作りました。お墓の周りに石垣が建てられ、劉備を28年輔佐するのを象徴する28本の柱が建てられています。
訪問者(1608)
コメント(1)
作者:( 「ふれあい中国」)
黄河、流域の旅、お疲れ様でした。諸葛亮が最後の采配を振った地を訪れられて感慨深かったことが文面から察せます。中学1年(13歳)の時、漢学塾で『文章規範』の中の、「前出師表」を暗記できるまで老師に学んだことが思い出されます。三国、蜀の名参謀「諸葛亮」は日本でも人気があります。日本の旅行者もこの地を旅することが多くなると思います。私事ですが、2週間ほど、上海から、江西、安徽を1人旅していました。廬山、黄山、景徳鎮を高速バスと夜行寝台列車で乗り継いで、ノートパソコンで、ホテル予約、旅程の日程、移動交通手段、前日の予約ですべて完璧なまでできました。快適なバス、軟席のゆったり、真にもって中国の初めての方と交流できました。日本、茨城空港から上海経由の国内移動、ホテル代含めて4000人民元で済まされました。特に廬山は、陶淵明先生の故郷、開発が及ばない古今不変の風景が残っていました。ここ1週間、東京の暑さは異常です。本日の僕のブログに書いた記事貼り付けます。連日の暑さに耐えかねない、頭は疼き、汗があふれて、頭に巻いた鉢巻きはびっしょりぬれる。テラスの上の寒暖計は40度をさしている。 そうゆうけれど、本日は「立秋」である。 夏の高校球児の「甲子園」が始まる。連日連夜、倫敦からの衛星放送を見ながら日本人選手に、期待を込める日々が続いている。TVはスーツ番組一色、今年の郷土の出場校「神村学園」の若者に、ベスト8の好カードまで勝ち残ってもらいたいものである。灼熱の甲子園の土に、ほとばしる汗を落としながら躍動する姿を見せてもらいたい。 魏の程暁(ていぎょう)の詩に「嘲熱客」がある。土用を過ぎた一番暑い時節に、他人の迷惑も考えずに訪ねてくる客を「熱客」という。 平生三伏時 平生三伏の時 道路無行車 道路に行車無し 閉門避暑臥 門を閉ざし暑を避けて臥(が)す 出入不相過 出入、相過(よぎ)らず 主人聞客来 主人、客の来たるを聞き 顰蹙奈此何 顰蹙(ひんしゅく)すれども、此れを如奈 せん 謂当起行去 当に起(た)ち行き去るべしと謂(おも)い しに ・・・・・・・・・・ 揺扇髀中疾 扇を揺るがせば髀中(ひちゅう)疾み 流汗正滂沱 流るる汗は正に滂沱(ぼうだ)