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2009年06月11日明清時代の官職

 今週は火曜日から2日間連続で大雨が降りました。そのため、漓江の水量がかなり増えてきました。今日は曇り空ですが、やっと雨も上がりました。
 さて、今日は前回の科挙に続き、明清時代に江頭洲から出た役人の官職について紹介したいと思います。
 科挙試の郷試に首席で合格した者を「解元」と言い、合格者は「挙人」と称されます。江頭洲村には郷試に合格し挙人となった人が28人もいます。挙人がさらに全国で行われる統一試験「会試」に参加し、受かった者が「貢士」になります。この村では貢士は9人もいました。貢士がさらに皇帝より直接出題される殿試に臨み、合格したら、「進士」となります。首席で合格したものを状元、第2席は榜眼、第3席は探花と言います。江頭村には、この難しい試験に合格した人が8人もいます。進士の二甲、三甲から若くて才能が抜群な人を選び出し、翰林院で「庶吉士」の職を務めさせます。
 清代には直隸州と散州があり、直隸州は省に属し、各地の県を管轄できます。散州は府、道に属し、県を管轄することができません。この直隸州と散州で行政長官を務める幕僚が知州と呼ばれました。一県の知県「正七品」を正式長官にしていました。また食塩政務を担当する役人を同知と言います。
  前回載せた写真の額に奉政大夫と書いてありますが、それは正五品の官職名です。また布政史は明清時代には、各省の財務と人事を主管する幕僚でした。刑事訴訟を主管する幕僚と共に「両司」と言われていました。
 このような制度により、こんな田舎の村からもたくさんの人が出世し、役人になることができました。今でも村へ行くと、官職の横額が誇らしげに正門の上に掛かっています。村の隅々の路地まで栗石で飾られ、村全体が綺麗に整備されています。他の地方のように、中国人が好んで食べるヒマワリの種の殻が捨てられていることもありません。この村では、どこか誇らしげな印象を受けます。最初の文章で紹介したように、春になると栗石の隙間には小さな可愛い草花が萌え出してきます。

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作者: 「ふれあい中国」
 

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