桂林花鳥市場
2016年10月12日桂林の生活
先日の日曜日、桂林市東環路にある花鳥市場に行きました。ピークにずれたのか、いつも騒いだ様子と違って、お客さんが少なく、静かでした。以前、大体週に一回ぐらい行って、気に入った花や魚があったら必ず買いましたが、近年は景気が悪くて、花と魚にに対する興味が淡泊になったし、懐も寂しいので、花鳥市場を回ることがだいぶ少なくなってきました。 前回旧正月の水仙を買った時よりもう半年以上も過ぎました。花鳥虫魚のほか、犬と猫などのペットも売っています。花鳥市場と言いますが、古本、骨董品などの休閑用の物もあります。日常用品もここで安く買えます。
花が好きな人はほとんど善良な人だと私が思います。長年間、人が花鳥市場で揉み合ったり、喧嘩したりすることは滅多にありませんでした。子供の時から花が好きでした。初めて植えた花はバラでした。バラの花が咲くと、蜜蜂と蝶々がいっぱい飛んできた喜びが未だに忘れません。大学には自分ひとりの部屋に花鉢を置くことは夢でした。就職した後、初めて買った花は月見草、アスパラガス・ナナスとモンステラでした。そのうち、珍し花や香りのいい花を収集するのが興味でした。花と魚を買うにはどれぐらい金を潰したか良くわかりません。
「私が死んだら、絶対泣かないでください。私のそばに香りのいい花を置いて、そして、私の好きな音楽を流してください。そうしたら、私は愉快に生まれ変わることができるわけです。」と半分冗談に妻と娘にそう言ったことがあります。人間はもしほんとに生まれ変わりができるなら、私は来世野原に静かに咲く薔薇とか、あるいは花のために勤勉に授粉する綺麗な蝶々に生まれ変わりたいです。
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コメント(2)
作者:(陸耀雲 「ふれあい中国」)
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陸さんは花に対する感情をよく書いてくれました。花の好きな人は皆優しい人なのです。綺麗な花も恰も曇りのない鏡のように我々人間の心の清さと単純さを映すことができます。そして花の好きな人は永遠に心の清らかな人だと思います。
先生、お元気ですか。コメント頂き、どうもありがとうございました。昔から、中国の文人たちが花を書いて、心を表す漢詩と小説が多かったです。杜甫の「春望」の「時に感じては花にも涙を濺ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす。」と、「紅楼夢」の「黛玉葬花」はみんな葬だと思います。