​潮州西湖

   潮州西湖は広東省潮州市湘橋区環城西路中段に位置しています。昔は潮州古城の護城濠で、俗称は“城の堀”と呼ばれました。現在都市建設の重心は西に移動し、こちらはすでに古城区と新城区の緑の分水嶺になりました。

   唐代になり北堤を築き、やっと韓江と切り、広々とした大きな湖になりました。唐粛宗乾元年間(西歴758‐759年)に皇帝が詔を下し、放生池は81か所に設置されていました。この西湖はその中の一つです(かつて西湖の山麓にはまだ“放生”が刻まれ、今は湖心亭の南側に池があり、放生池と言います)。西湖に近い葫芦山と、古城を守る天然の障壁の役割を果たしていました。歴代の官府はみんなそちらの築き上げ、浚渫を重視しました。南宋の時に知軍州事の林驃及び知州林光世は、西湖と葫芦山に対して建設がたくさんありました。林光世は<<浚湖銘>>を書き世に残しました。元代になると、潮州の戦乱は西湖の景物をかなり壊しました。洪武の初めの年にはまた潮州で城壁を大修理し、大量の石ころを採用し、湖を半分埋め、城の堀と言われました。清の時代にしばしば兵禍に遭うため、西湖の景色は、また多く壊されました。民国に来たら、軍閥の洪兆麟により私家を占められ、“洪園”と呼ばれました。

   潮州西湖は中国伝統的な公共の庭園です。8つの要素が含まれているます。それぞれは、①山に寄りかかって水に寄りかかっている、②曲は幅が広い、③茂林で竹をつくる、④奇石異峰、⑤あずまや楼閣(橋・堤)、⑥寺観廟祠、⑦碑文を作る、⑧有名人の伝説。公園内は活人洞、寿安岩、寿安寺、奇石館、涵碧楼、処女楼、湖心亭、西湖漁筏、西湖石坊、鳳栖楼、芙蓉池、景韓亭などの観光スポットがあります。