永泰公主墓

  この墓は西安市乾県北部、乾陵の東南約1.5里に位置し、1960年8月から1962年4月までにかけて発掘された。これは中国解放後に発掘された最も大きな墓である。墓は土を盛り上げて造られ、墓道はスロープ状となっており、高さ2m、幅3.9m、玄室までの長さ(距離)は87.5mである。永泰公主は唐の中宗皇帝の7番目の娘で、高宗皇帝と則天武后の孫娘である。彼女は則天武后の親類と結婚したが、唐長安元年(701年)に17歳の若さで死に、洛陽に埋葬された。現在の永秦公墓に埋葬されたのは中宗が即位してからである。 彼女は南山で死んでしまったと言われているが、則天武后を怒らせ、死を賜ったとも言われ、中宗によって永泰公主という名を追贈された後、現在の地に陪葬された