水鏡荘

  襄陽市区の南西約40km、南漳県にある水鏡荘は、後漢末も名士司馬徽の暮らした場所。彼の号が「水鏡」であったことから、水鏡荘と呼ばれるようになった。
  彼は河南省穎川の出身者だが、この地に転居し、隠棲し、優秀な者を見いだし、門下生としていた。彼は偶然草庵を訪れた劉備に「諸葛亮か龐統のどちらかを召し抱えることができれば、天下を取ることができるだろう」と教え、劉備はその言葉に従い、三顧の礼で諸葛亮を迎え入れた。現在は、三国志関連史跡の出発点として整備されている。