シャーテ(夏特)古道

シャーテ(夏特)古道は、新疆ウイグル族自治区昭通県から西南に70km離れており、全長は120kmあります。「シャーテ」とはモンゴル語で「階段」、「天の梯子」という意味をもっており、海抜3600mに位置するシャーテ古道は、古代イリ(伊犁)から阿克蘇に向かう途中にある古い駅として利用されていました。清の時代の地元政府が古道に70世帯の民家を設置して、古道に階段を築く任に当たらせました。現在では、シャーテキルギス族郷の郷政府の所在地となっています。

シャーテ古道は神秘的な色彩に富むことから、アドベンチャー性を兼ね備えた観光コースとして推奨されています。また、天山山脈を境界として南部と北部を結びつける峡谷でもあります。この地を流れるシャーテ河は高く聳える険しい山岳地帯から勢いよく流れ、水は激しく波立ち、音が響きます。また、シャーテ沖積平野を育みながら最後にタークス川に注ぎます。シャーテ河がこのような険しい峡谷を形成し、古くから山の峠や古道、遺跡、地元の民俗、自然美など古代文化の息吹を感じることができる観光コースとして定着しています。シャーテ古道は「唐僧古道」とも呼ばれ、現在では4、5kmほどの美しい自然そのままの峡谷型公園として開発されています。この峡谷を挟んだ両側の山々は厳しく反り立ち、昔のままの風貌を残しながら、人跡未踏の自然と動物の世界が広がっています。具体的にはリス、ウソ、野兎、雉等の小動物や鹿や新疆山羊、雪豹なども目にすることができます。また、ここは唐の時代に三蔵法師がインドに向かう途中に通り抜けた「凌山」であるといわれており、古道のルーツになっています。記録によるとシャーテ峡谷は唐の時代の有名な「弓月道」が必ず通る「氷達坂」(一年中雪が積もっている高山)という峠であるとも伝えられています。峡谷には数多くの人間の手により築かれた階段が残っており、その傷み具合はそのままいくつもの時代を経てきた古道遺跡といえます。

このほかにも草原石人、烏孫古墳群、シャーテ古城遺跡などの観光スポットがあります。

草原石人は今から1200年前に造られたものと考えられています。14世紀、イスラム教が新疆に伝わる前、新疆の広大な草原を生活の舞台にしていた遊牧民族が原始的な宗教であるシャーマン教を信奉していたと推定されています。シャーマン教は世の中のものにすべて神が宿っていることを信じ、自然万物に対する崇拝がなされた宗教でした。特に先祖に対する崇拝の心を何より重んじ、すでに亡くなっている先祖の霊魂が変わらず生きている、という思想のもとで広まっていました。そこで部族の人々は石で造った人形に死んだ人の霊魂を転移できると信じられてきました。また、これらの石の人形は墓石として用いられたものだという説もありますが、いずれにしても草原石人は新疆地区における歴史的価値の高い文化遺産であると認められています。また、古道の峡谷入り口の周辺には白い石が目立ち、まるであぐらをかいている菩薩のように見えることから「菩薩石」と呼ばれています。

古道の烏孫古墳群は紀元前2世紀からこの地で活躍してきた原住民・烏孫の古墳で、突厥民族の入り乱れた歴史も合わさり未だに解明されていない歴史の謎が多く残っています。

古道遺跡には、清の時代に造られた沙図阿満族軍台やシャーテ古城の遺跡があり、時代の経過と共に語られる歴史が今も残されています。

シャーテ峡谷の峠から約30km離れたところにはイリ地区でも有名な温泉療養地があり、閑静な環境に恵まれた癒しのスポットとなっています。温泉の水温は42℃から64℃まで分けられ、皮膚病などに効き目があると言われています。ここでは既に立派な温泉療養地としての整備が進み、新たに開削された草原の放牧道を進んでくれば温泉療養地に行くのに便利です。

現在、新疆地区の南彊と北彊を結ぶ国道が開通されて以来、シャーテ古道を利用する人々は減少しましたが、観光や探検を目的とした観光客が訪れる場所へとなりました。しかし、古道内は地形や気候が複雑に変化しており、散策には注意が必要となります。冬の天山は北面と峠の積雪量が非常に多く、観光は不可能と言われています。逆に真夏になると気温の上昇によって氷河が溶け、水量が大幅に増えた河は暴流に変わり、古道は通行不可能となります。したがって、トレッキングに最適な時期は5月中旬から6月中旬、または10月から11月の間とされています。また、シャーテ古道を訪れるには地元の伊寧市公安局から国境通行証を申請しておく必要があります。