心の中の故郷ー貴県

2011年12月18日視察旅行

この間、桂林より南400キロくらい離れ、汽車で5時間ほどかかる故郷の貴港市へ帰りました。5、6歳の時、故郷を離れて、祖母ちゃんに連れられ北方にいる叔母さんの所へ行って生活し、中学校の時、故郷へ帰りました。その後、大学へ行って、また故郷を離れました。故郷にいる時間は前後を合わして、十二三年だけで、地方にいる時間が長かったように思えます。でも、それがかえって、昔の故郷に対するイメージが強く感じられえます。
イメージの中の故郷は主に「大塘」(池塘)、「和平通り」、「東湖」(広い湖)から成っています。家の裏は「大塘」で、水の中に蓮、睡蓮、菱などの水生植物が一杯生えていました。水が澄み切っていて池底を泳いでいる魚まで見えていました。兄は家に居ながらにして魚を釣っていました。夏場には大人がいない時、近所の子供たちがここに来て水遊びをして賑わっていました。大人は心配して、子供たちをよく殴りました。一番うれしかったのは兄と風呂用の木盆(木造のたいら)に乗って、蓮の実を採集したことで、その涼しさを連想する菱の実と、蓮の葉の気品のある香りが彷彿としてきます。大塘の畔は当時貴県のメインストリート和平通りです。両側の垂柳の並木は枝が水面まで垂れていました。一番幸せな思い出はやっぱり旧正月に母と婆ちゃん(母の実家)の所へ行くことです。今でも当時のコースをはっきり覚えています。まず和平通りを横断して、東湖公園を通ります。その時必ず公園の門の両側に置いてある石獅子の上に乗って遊びました。それから石畳の「燈籠橋」を歩き、橋の突き当りに一本の大榕樹(ガジュマルの木)があり、そこから右に曲がって、のバラが咲いた籬に囲まれた野菜畑の近くを通って、慈悲深い婆ちゃんの家に着きます。婆ちゃんはいつもにこにこして私たちと話してくれたものでした。ここでいたずらなことをしても、叱られません。美味しい「肉糕」(肉と野菜のトッビングのある年糕)、「発糕」(広東省、と広西南部地方で食べる甘い年糕)と「肉粽」(桂林地方の粽と違って、長18センチ、幅7センチ、高6センチのでっかい粽)を食べられるほか、お年玉ももらえます。従兄がいない時、内緒で彼のハーモニカを吹いたことも楽しい思い出の一つです。残念ながら、今婆ちゃんも従兄も亡き人です。
現在の貴港市は昔と比べると大きく変化をしました。高層ビルがぎっしりと立ち並んで、昔より10倍も拡張するほど発展しました。でも住宅が広くなっても、お互いの交流のスペースが狭くなりました。ポケットのお金が増えても、顔の微笑みが少なくなり、仏像が増えても、信仰心が少なくなりました。子供の頃の故郷は更に恋しさが増してきます。桂林に帰る前に弟を呼んで一緒に昔婆ちゃんの家へ行く道を歩きました。昔の古い建物はほとんど壊れましたが、幸い、「燈籠橋」と大きいガジュマルの木がまだあり、懐かしかったです。中学校があった場所へも行きましたが、もう学校ではなく、食品を加工する仕事場になり、とても残念でした。
家の近所の胡同(フートン)は相変わらず昔のままで


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 


家の近所の胡同(フートン)は相変わらず昔のままで、懐かし買ったです。でもこの写真をt撮る際、泥棒か変なおじさんと誤解され、そこに住んでいる一人のお婆さんに怒鳴られて、気分が悪くなりました。
胡同(フートン)には楊桃(スターフルーツ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



                 胡同(フートン)には楊桃(スターフルーツ)の木が一本あります。子供のころ一分(0.01元)で一個を買って、ちょっと酸っぱいですが、美味しかったです。
ここは家の近くにある鉄道局の給水塔で

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


      ここは家の近くにある鉄道局の給水塔で、かつてそのあたりの一番立派な建物で、子供たちがその台を滑り台として滑り落ちてきます。子供たちの笑い声がまだ耳元に残っていますが目の前の寂しい場面を見て思わず悲しくなりました。
これは「粽葉」と言い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


これは「粽葉」と言い、旧正月の「肉粽」を作るための葉っぱです。 その前、灰汁を抜くためにお湯で茹でて、その後、生臭みを抜くために長くお湯に浸します。貴港市の「肉粽」は桂林の粽より大分大きいです。主な材料は500gのもち米、適当な緑豆、100gの豚肉、後はお好みに栗、きのこ、蝦のむき身などを入れます。中学校の時、育ち盛りなので、一人で一食で「肉粽」を一個食べてしまって、美味しかったです。「粽葉」を見る度、「肉粽」の懐かしい匂いを思い出します。
蕃石榴(グアバ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     蕃石榴(グアバ)の木のそばの煉瓦造りの建物が私の中学校の教室です。昔学校の近くまで来るとすぐ学生の読書の声が聞こえました。今は廃棄されていて、残念です。できれば、その教室でまた本を読んでみたいね。

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コメント(4)

作者:( 「ふれあい中国」)

お客様からのコメント

1眼泪都出了。。。2011/12/24 14:51返信

随着陆先生的心路重回了一次外婆家。40年岁月的河水,冲刷不去一路如此清晰记忆。故乡不在眼里,是在心里。像刀刃,在流年里越磨越锋利。。。

  • 2011/12/28 15:01

    你好!我的朋友。看来,我们是同行,是同一个战壕里的战友,以后还请多多指教。“故乡不在眼里,是在心里。像刀刃,在流年里越磨越锋利。。。”这一句比喻的是多么生动贴切呀!可以肯定,你的文学素养是非常高的,而这正是我所匮乏的,向你学习 !

2桂林浪漫2011/12/19 02:35返信

你的老乡是貴港市。 「故郷は遠きにありて、思うもの・・・・・・」日本の抒情歌人が歌いました。齢を重ねるごとに望郷の念に駆られますね。小舟に乗り、蓮の実を取り、菱の実を漁り、そのかぐわしい香りが、漂いだされるがごときの感動、誰にもあるものです。紅顔の美少年の頃学びし校舎は、今は生産工場へと変わり果て、そこで学びし多くの友は都会へとと旅たち、久しぶりに訪れた学び舎を前にして涙、数行下る。このような感慨誰しもあるものです。胡同に関して、よく巴金、老舎の作品に描かれています。その胡同も今は壊されて当時の面影を引きずるものにとっては心痛いものでしょうね。 参考に。私の故郷を少し紹介いたしましよう。我的老家在九州。从鹿儿岛坐汽车要二个多小时。那儿面向大海,一年四季都能吃到海鲜,是一个风景很美的好地方。冬天,那儿非常冷,虽然不常下雪,但气温朝时,在零下四度左右。我每年暑假和新年两次回家探亲,最大的乐趣就是和家乡的老朋友一起钓鱼,逛庙会。现在街上有很多高楼。跟过去不一样了。但小时候玩儿过的山和河一点儿也没有变。我虽然离开那儿已经很多年了,但对故乡的感情却越来越深。

  • 2011/12/19 12:27

    先生、おはようございます。早くもブログを読んでいただきましたね。いつも注目していただき、ありがとうございます。ところで、びっくりしましたよ、先生の書いた中国文に。中国人が書いた文章とまったく同じです。今後も先生のように頑張らなければなりませんね。私が23年ぐらい前、熊本に一年間住んだことがあります。天草など海の所に行ったこともあります。先生の文章を読んで、先生の「老家」の素晴らし差をある程度想像できます。先生も地方にいる時間が長いでしょう、よく私の故郷に対する気持ちがわかりますね。ありがとうございます。ちなみに「你的老乡是貴港市。」とは「你的老家是贵港市呀。」または「你是贵港人呀。」とよく言います。ご参考になさってください。

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