桂林市から霊川県の大鏡郷までの楽しいピクニック(一)

2012年03月26日中国観光ガイド

先週の土曜は麗らかな日で、私たち友達が四人で桂林の近くの霊川県大鏡郷へピクニックに行き、とても楽しい一日を過ごしました。
朝八時半ごろ、私たちは桂林市区を出発しました。市街区を出て、三十分経って、大墟鎮に着き、九時半ごろ、潮田郷を通りました。途中は車は少なく、人の姿もほとんど見えませんでした。潮田郷を抜けて、大鏡郷に入りました。車の右側には思安江(灕江の支流)が流れていました。川の両岸の木は黄ばんだ新緑が元気よく伸びて、活力が満ち溢れていました。野原にはあちこち赤とピンクと白などの花が咲いていました。道端の野菜畑に青くてつやつやした韮、黄色い花が咲いている菜花と白い花が咲いている大根などとても綺麗でした。突然、前方に一面雪のような真っ白な花が咲いていました。それを見て、みんなは言い合わせた様に叫びました。近づいて見るとそれは果樹園の李が咲いている花だと分りました。みんなは車を降りて、写真を撮りに行きました。純潔な花がほのかな香りを漂わせていて、そのような花の中にいると思わずその美しい景色に見蕩れてしまいました。土と草と花の匂いを混ぜた朝の空気を吸いながら、下は湿潤な柔らかい土を踏んで上は美しい花を楽しむというような気持は実に爽やかで、忘れ難いです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向こうの山は少し日本の富士山のように見えませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


青空のもとで白い花は一層奇麗に見えますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日に射されて眩しく見える李の花です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

純潔で貴い花。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

可憐な花ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桃の花です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できれば夏の時桃を食べに来たいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛嬌のあるの桃の花です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白、ピンク、それから黄色、目の保養ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勤勉で、可愛い蜜蜂ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桂林ではこれは「雷公菌」と言います。食べられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「野芹菜」と言います。水際に成長する山菜です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野葱です。千切りして煎り卵を作って、最高の味がします。

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コメント(3)

作者:( 「ふれあい中国」)

お客様からのコメント

1江樹2012/04/05 17:46返信

綺麗な文章、綺麗な写真に感動されました  コメントした桂林先生にも感動されました 羨ましいな~~ 

  • 2012/04/09 11:12

    江樹君、いつもブログを注目していただき、ありがとうございます。今の季節はピクニックに一番いいタイミングです。去年一緒にナズナを採ることをまだ覚えていますか。ご都合がよければぜひ一緒にハイキングに行きたいです。

2桂林2012/03/28 14:13返信

寒い、寒いといった着膨れスタイルから、一挙に上着を投げ捨て、野山に飛び出したくなる季節がまた再び廻ってまいりました。目にはカラフルな果実の花、野菜の花など新鮮な色が鮮やかです。耳には菜の花に集まるミツバチの羽音が「ぶんぶん」と聞こえ、スカイブルーの空には小鳥が舞飛び愛らしい囀りを響かせています。鼻には、甘酸っぱい花粉の香り、湿気を帯びた地上に伸びた葱、清らかなミネラル水をたっぷり取り込んだ芹、これらの野生の野菜は生き生きとした蒸散作用で鼻の奥までピクピクと刺激を与えてくれます。このような春の1日、野外に飛び出して「踏清」したくなりますね。もうすぐ「清明節」が廻ってまいります。ぽかぽか陽気に誘われて祖先の墓参りに、手に手にお花とお酒、ご馳走を持って親戚一同と参集いたしませう。陸さんの「大鏡郷」での感動が目に浮かんでまいります。その感動は、わが敬愛してやまない「李白」先生の次の詩の感慨と同じく、涙落ちる光景だったことでしょう!。その詩にはこう謳われています。「春夜宴桃李園序」。  「夫天地者萬物之逆旅、光陰者百代之過客。而浮生若夢。為歓幾何。古人秉燭夜遊、良有以也。況陽春召我以煙景、大塊假我以文章。會桃李之芳園、序天倫之楽事。群季俊秀、皆為恵連。吾人詠歌、獨慚康樂。幽賞未已、高談轉清。開瓊筵以座花、飛羽觴而酔月、不有佳作、何伸雅懷。如詩不成、罰依金谷酒數。」・・・・・・。人間の不安定な一生涯は、短くはかない夢のようである。この世で歓楽を為すのはどれほどの時間だろうかと。だから、桃、李の花咲く園に集まり、兄弟、友と「春宴」を次々と繰り広げるののである。玉の筵のこのような立派な宴席を開いて、花を眺めて座り、鳥の羽の形をした盃を取り交わし大いに月を愛でて楽しむのだと。また我が国(日本)においては、李白に私淑して桃青と号した松尾芭蕉の俳諧には、李白先生の詩文に影響された作が多い。有名な「奥の細道」の冒頭には、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。船の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。」と書き始められている。今思うに、芭蕉先生も李白先生を深く意識しておられたのだ。時代が違うとはいえ、また国が違うとはいえ、春の季節における天地の感動は詩人の魂を揺さぶってならないのだろう。吾のような凡人に於いては、

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