八年ぶりに桂林伏波山を見物にいきました。

2012年05月20日中国観光ガイド

 今はもうガイドの仕事をしませんが、たまに昔のことを振り返って、懐かしいです。

文化大革命の時、中国人が旅行する際、泊まるのは招待所や、旅社などの所でした。服務員(店員)はほとんど40代か50代の逞しいおばさんでした。サービスが悪かったものです。改革開放が行われた後、中国に来る外国人の観光客が徐々に増えてきました。外国人が泊まる所は賓館や飯店とでした。中国のメンツにかかわっているので、サービスはもちろんと買ったです。賓館の中の施設も非常に豪華でした。初めてホテルに入った私はめまいと気詰まりを感じました。服務員はみんな綺麗で、スタイルの良い若い女の子でした。一般の中国人がホテルに泊まるどころか、入ることもできませんでした。でも、ホテルの守衛を無視して、自由にホテルに入る人がいました。それはつまり外国人観光客を案内するガイドでした。当時には外国人観光客を案内するガイドになるには物凄く難しかったです。外国語がペラペラ話せることだけではなく、政治の面の厳しい審査もパスしなければなりませんでした。「民間の外交官」はガイドに対する尊敬な言い方でした。ガイドもホテルの服務員も当時には若者の憧れた仕事でした。大学を卒業して、学校の先生の仕事に就きました。初めはやる気満々でしたが、とうとう、同じことばっかり教えるのが詰らなくなりました。友人の推薦で、旅行社に転職して、一人のガイドになりました。ガイドの仕事は私にとって人生の貴重な体験で、いろいろなことが勉強できて、大変良かったです。

今日は桂林の伏波山について皆さんにご案内したいと思います。

伏波山は江の畔に臨んでいて、桂林市の中心部から歩いて五分間で着きます。山の高さは63メートルしかありませんが、地面から切り立っていて、険しく見えます。唐代まで山の上には漢の時代の伏波大将軍-馬援を記念する伏波祠があったので、伏波山と名付けられたのです。伏波山公園には主に還珠洞、試剣石、千仏洞、大鉄鐘と千人鍋などがあります。

昨日の午後、一人で伏波山の見物をしました。公園には観光客がそれほど多くないので、ゆっくりで景色を見ることができました。公園に入って、すぐ見えたのは鉄製の大きい鐘でした。この大きい鐘はすぐ近くにある大きい鍋「千人鍋」とは元は畳彩山の「定粤寺」の宗教器物でした。「定粤寺」は家事があったので、伏波山公園に移されました。清の康煕八年{1669年}、定南王の孔有徳の娘の孔四貞が戦死した父親を記念するために大釣鐘を作ってもらいました。すでに三百年の歴史がありました。それを見物するとき、昔よく日本人の観光客に切り紙を切ったうりっ子に出会いました。「商売はいかがですか」と挨拶すると、「飯を食うぐらいです。でも日本人の観光客は少ないです。」と返事しました。それを聞いてちょっと寂しかったです。その後、唐の時代の仏像がたくさん彫られた還珠洞と千仏岩を見物しました。千年も経った仏像は今になって相変わらず生き生きして、感心しました。最後には頂上まで山登りしました。15分ぐらいかかりました。運動不足で、ちょっと疲れました。山登りする人は一人もいないので、ゆっくり写真が撮れました。

 

 

 



 

 

 

 

 



伏波山公園の前に建てられた伏波将軍のブロンズです。

 

 

 



 





 

 

               前と比べて、公園は奇麗になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 この大釣鐘は高さ2.5メートル、口径1.7メートル、2.5トンです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 「千人鍋」は千人ほどのご飯が作れる大きいお鍋の意です。「千人」は詳しい数ではなく数多いという意味です。この御鍋の高さも深さも1メートルで、重さは約1トンぐらいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






「聴涛閣」は普段ロックされた状態ですが、この日は内部の修繕があるので、門が開いていて、いいチャンスとして、ひっそりで中に入り込みました。おかげ様で、普段見られない景色が見られました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



清代の桂林の有名な蘭竹の画家李秉綬の蘭竹図と兪徴、李雍、李質の「拾翠」の石刻です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



ここから「還珠洞」に入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


還珠洞内の石刻の仏像は唐の末期に作られました。仏像はみんな典雅で微笑んでいる表情をしています。

 

 

 

 

 

 

 








 

 


 

 

 

 

 

 




これは還珠洞内にある唯一の道教の石像です。この石像は宋代に刻まれたのです。二人の道士は長寿について弁論しているそうです。どっちが勝ったか、どっちが負けたのか二人の表情を見て、良く分ったでしょう。

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 




 還珠洞の中に一番貴重な古跡は北宋の書画家米芾の自画像です。米芾は書道も絵も大変有名で、蘇軾、蔡襄、黄庭堅の三人とは宋代の四大書道家でした。特に米芾の書画は後世にほとんど残されていないので、更に大事にされています。絵の上に当時の皇帝趙構が米芾の字を褒める肉筆の字が残されています。米芾と米芾の曾孫が桂林に住んだことがあったので、それで還珠洞に米芾の自画像が残されたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


これは「試剣石」といいます。漢代の伏波大将軍-馬援が剣の切れ味を試すためさっと切った痕だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



還珠洞」から階段を登って、「千仏岩」に来ました。「千仏岩」は三階あります。あわせて239の石刻が残されました。ほとんどは唐の末の作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


造りかけの仏像です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

頂上に上がる道は静かでした。

 

 

 

 

 

 

 

 





頂上から撮った桂林市内の景色です。

 

 

 

 


 

 

 

 




遠い所に解放橋、穿山、象鼻山などが見えます。 

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作者:( 「ふれあい中国」)

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