今日は中国の伝統的な祭り「端午節」です。

2012年06月23日桂林の生活

今日は旧暦の五月五日で、中国の伝統な祭りの「端午節」です。
「端午節」は中国の春秋戦国時代の楚の国の愛国詩人「屈原」を記念する祭りで、既に二千年以上の歴史がありました。屈原は楚の国の大臣で、楚懐王に「挙賢授能、富国強兵」のことを勧め、、斉国と連合して秦に逆らうことを主張することを「子蘭」などの貴族に強く反対され、とうとう都から追い出されて、沅江と湘江の流域(現在の湖北省と湖南省)に流刑されました。紀元前278年、楚の都が秦に破られ、悲しみのあまりに、屈原は「懐沙」と言う詩を書き終わった後、楚の国の版図の形に似た石を抱いて、「汨羅江」に跳び下り自殺しました。屈原が跳び下り自殺したのを聞いた地元の人はみんなボートを漕いで、屈原の死体を捜しに行きました。人々は魚がお腹いっぱい食べるならもう屈原の屍を食べないように、川の中にどんどん団子を投げだしました。また蛇類のものが屈原を傷害しないように蛇避けの「雄黄酒」を川に撒きました。その日は旧暦の五月五日だったので、人々はその祭りを「端午節」と名付けました。伝統を守るために近年中国政府は「端午節」と「清明節」と「中秋節」の祭りを法定的な休日に決まりました。
 桂林では「端午節」の間に色々な風俗があります。一番盛大な行事はドラゴンレース です。「端午節」の日には各村は灕江などの川にに集まり、ドラゴンレースを行います。そのほか、各家庭は玄関に蓬、紫蘇と菖蒲草の草束を飾ります。「喫了五月粽、才把寒衣送」(端午の粽を食べてから、天気は初めて真に暖かくなる)という諺があります。端午節を過ぎた後、天気が本場の夏場に入り、蚊と蝿などの虫が増えるので、殺菌の匂いする蓬と紫蘇などの草を玄関に飾って、虫除けをするのです。一応病気の予防ができるわけです。田舎の所では庭の周りに蛇などを避ける「雄黄酒」を撒きます。
 中国人は食べることを大事にするので、「端午節」の日にはもちろん一家団欒でご馳走を食べるのです。主に「五子」を食べるのです。地方によってそれぞれ違いますが、主に「粽子、鴨子、蛋子、桃子、蒜子」(粽、家鴨、卵、桃、と大蒜)の五種類の物を指すのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桂林市の中心部辺りの「太平路」(ニコニコ堂の近くに位置する)の道端の臨時市場で端午節」用の蓬、紫蘇と菖蒲の草束が一杯売られていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓬と紫蘇の特別ないおいが好きです。虫除けの働きがあり、健康にいいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 可愛いあひるが間もなく殺されるのを思って気の毒でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間の経つことが早いことですね。あっという間に一年間過ぎました。去年の古い蓬草をはずして今年の新しいのを変えます。各家の玄関に蓬の草束を飾ることは「端午節」と特有な風景になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

粽を作る前にもち米と緑豆を一晩水に浸かっておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もち米と緑豆の外、栗、ラッカセイ、茸、豚肉、或いは鶏肉、卵の黄身などお好みで入れられます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント(1)

作者:( 「ふれあい中国」)

お客様からのコメント

1桂林浪漫2012/06/25 20:46返信

日本でいう「端午の節句」(たんごのせっく)は、中国では1か月遅れるのですね。日本では5月のゴールデンウィークに重なる日に「端午の節句」を祝います。粽を作り、米粉の蒸し菓子を作り、家族・親戚が一堂に会し食します。日本の粽は、中国の作り方と違います。熊笹に包み、筍の皮の紐(ひも)で縛って蒸し上げるところは同じです。具(中に詰めるもの)がありません。糯米(もちごめ)を灰汁(あく)汁に一晩浸し、竹の皮に詰めるのもです。ですから粽、そのものには味はありません。黄粉(きなこ)、蜂蜜、餡子(あんこ)などに塗(まぶ)して食べます。また、魔除け、病気払い、のために菖蒲(しょうぶ)の茎を川から採ってきて、お風呂の中に入れ、「菖蒲湯」を楽しみます。独特の臭みがあり最近では、風呂桶の中にいれて湯あみしない家が増えています。日本の田舎に行くと、五右衛門風呂の中に投げ込んで縁起を担ぐひともいるのも見受けられますが、最近ではみておりません。蓬(よもぎ)紫蘇(しそ)の葉を家の入り口に置くのも、日本と同じです。鴨をつぶして喰う習慣はないと思いますが、アジアの中で、中国の伝統行事が日本ほど、同化して古来、季節季節に人々の中の溶け込んでいるのをみるに驚くべき同一性があります。多分、私、思うに隋、唐に学んだ日本の遣隋使、遣唐使らが伝承、伝来したことに由来がありそうです。まもなく来月になると「七夕」がまた巡ってまいります。天の川の星に願いを致す、これもまた、中国からの渡来風習ですねー。四季折々の郷土料理を食べる、これほどノスタルジー(同郷愛)を感じるものはなさそうです。屈原の「懐沙」(かいしゃ)はこのように歌いだされます『滔滔(とうとう)たる孟夏、草木莽莽(ぼうぼう)たり。懐(おも)いを傷め永く哀しみ、汨(いつ)として、南土に徂(ゆ)く。眴(まばた)けれども、杳杳(ようよう)たり、孔(はなは)だ静かにして幽黙(ゆうもく)たり。・・・・・・。世溷濁(こんだく)して、吾を知る莫(な)く、人心は謂(い)う可(べ)からざるなり。死の譲る可からざるを知る。願わくは愛(お)しむ勿(な)からんことを。明(あき)らかに君子に告(つ)げん、吾将(まさ)に以(もつ)て、類(るい)と為(な)らんとすと。』屈原死を恐れず、世の君子の手本となろうとする決意を述べる、早晩訪れる死を避けられないものとして覚悟して歌い上げた辞(うた)であ

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