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2012年11月01日寧遠の見物ーー湖南省永州観光シリーズ(一)

10月の24日から27日までの四日間、私は桂林の各旅行社の一同と「湖南省永州市観光視察団」に参加しました。今度の旅のオルガナイザーは桂林市旅遊局と桂林市旅遊協会ですが、招待していただいたのはは湖南省永州市政府でした。同行する人は全部で30人(ドライバー入れ)でした。
永州は唐代の柳宗元が書いた「捕蛇者说」(毒蛇を捕ることによって、生活する捕蛇者のことを紹介して、永州の地元の百姓の苦しさを述べる文章。)によって中国人によく知られていますが、観光地としてはそんなに有名ではありません。
永州は湖南省の西南部にあり、湖南、広西と広東の三省の境を接する所です。永州市は隋の前に「零陵」と言いましたが、その後、「永州」と言うようになりました。一地二名であるわけです。瀟水と湘江がここの「蘋島」に合流するので、昔から「瀟湘」の地と称されてきました。1995年に永州市が成立しました。市区は冷水灘と零陵の二区からなっています。市の下に九つの県が所轄されています。永州市は総面積が2.24万平方キロメートルあり、総人口が610万人ぐらいいます。
永州は2200年の悠久な歴史と深遠な文化があります。「史記」によると、紀元前2071年、舜帝が南方へ視察に来た時、「蒼悟」のあたりで亡くなり、「蒼悟山」(九疑山)に葬ったそうです。唐代の有名な文学者の柳宗元は永州に下げ落とされ、十年の間住んだことがあります。柳宗元はその間たくさんの素晴らしい文章を書きました。そのうちの「捕蛇者说」と「小石潭記」は中学校の教科書に納められました。また、永州は中国の宋代の理学の鼻祖の周敦頤氏の故郷でもあります。歴史上、永州に訪れた有名な人は数えられないほど多いです。
永州はまたイオ族の発祥地と言われています。江華イオ族自治県は中国ではイオ族の人口の一番多い自治県です。ここにはまだ女性が男性をもらう風習が残っています。
永州の江永県に世界唯一の女性文字があります。清代以来、江永県の「上江墟」のあたりに女性の間にしか使わない女性文字が伝わってきました。その文字を「女書」、また「女字」と言います。「女書」はいずれにして「多」のような形がしていて、合わせて1700字あります。「女字」はほとんど扇子とハンカチの上に書かれています。
私たちは永州市の寧遠、道県、江華、零陵と双牌県の五ヶ所の所を回って、それぞれ寧遠文廟やと零陵県の柳子廟と道県の廉渓故里(周敦頤の古里)の古跡と「九疑山」及び「陽明山」という国家森林公園を見物しました。見物する予定の浯渓碑林(顔真卿、米芾、黄庭堅、何紹基など時代の書道家の石刻が残っている。)は道路工事の原因でいけませんでした。大変残念でした。時間のせいでゆっくりで観光できませんでした。将来チャンスがあったら、もう一度行って見たいと思います。今日から永州で見物を一一ご紹介したいと思います。
今度の永州の旅の一番目のステーションです。寧遠県は永州の南部にあり、総面積が2500平方メートルで、総人口は83万人います。寧遠県は永州の各県ではわりあい裕福な県です。
24日朝の08:30桂林を出発し、13:20頃、寧遠県の「柴火農荘」に着きました。寧遠県は寧遠県の宣伝部長と県事務所の副主任がそこまで出迎えてくださいました。簡単な昼食を取ってから、私たちは「九疑山」景勝地に向かいました。「九疑山」景勝地は寧遠県の南部に30キロ離れていて、南嶺山脈の萌渚嶺に属しています。「史記五帝本紀」に「舜南巡狩崩於蒼悟の野、葬於江南九疑」と書いたことによって、紀元前2071年、年配の舜帝が南方へ視察に来た時「亡くなったのでそのまま九疑山の山々に葬ったということがわかりました。
九疑山は見所はたくさんありますが、時間のせいで私たちは「舜帝陵」、「玉琯岩」と「紫霞岩」を見物した後、泊まるホテルへ行きました。



「舜帝陵」は夏の時代に舜帝を記念するために初めて建てられました。その後、各時代の帝王たちはよく「舜帝陵」へ祭祀に行くようになりました。2005年、舜帝陵は修繕されました。その後、毎年国内と海外から中国人が大勢来るようになりました。2005年と2009年に湖南省政府はここで舜帝を祭祀する式を行ないました。素朴で、情熱な永州人に感動しました。





供え物は牛、羊、豚のほか、五穀、果物、酒などがあります。











民間の中に舜帝の様子はこのようです。

秦から、舜帝廟は舜源峰の麓に引越しされきました。舜帝廟遺跡は敷地面積が3.2万平米占めています。現存の史跡は南宋の建築で、2000年に発見されました。

各時代から残されてきた石碑です。

清の乾隆時代の石碑です。

舜帝廟の遺跡の近くにある「玉琯岩」に素晴らしい石刻が残されています。

「紫霞岩」は舜帝陵の南一キロ離れた鍾乳洞です。徐霞客が九疑山の地形を考察する時、この洞窟に四日間泊まったそうです。鍾乳石を見物するほかに少数民族の踊りとウオータースクリーンの映画も楽しむことができました。








夜、寧遠県政府は歓迎会を開いてくださいました。

歓迎パーテイーの後、地方の特色のショーも鑑賞しました。

この「湘妃竹」の踊りは中国のトップショーを獲得したそうです.
 
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作者: 「ふれあい中国」
 

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