筆者も「放生」に随喜しました

2013年06月30日桂林の生活

   中国の仏教と言えば、大体禅宗のことが思い出されますが、その「五戒」というのを知らない人はいないでしょう。その一つとされる「不殺生」(生き物を殺さない)につながる「放生」は基本的に求められています。世の中にあるすべての生き物を慈しむ気持ちは仏教の教義として伝えられています。そればかりでなく生態保護の立場から見ても評価されるべきではないでしょうか。
 筆者が今日、生き物を「放生」する体験をさせてもらいました。朝8時に家を出て8時半ごろ「放生」とされる場所に着きました。そこに仏教の在家信者(男性も女性もいる)が既に集まり、随喜(寄付)したお金で購入した放生用の泥鰌と小鳥も運ばれてきて整然として地面に並んでいました。鳥の籠にお線香も差してありました。話によるとこれらの「生き物」を買ったお金がちょうど一万元だということです。面白いことに仏教では、この一万元のために随喜した人(正直に言うと筆者も少し随喜した)は誰でもこの一万元分の来世への功徳を積む事ができたと考えられます。まさに「放下徒刀、立地成仏」(凶器を捨てればそのまま誰でも仏様になる)に近いいかにも禅宗らしい奥深い考え方なのです。
 「放生」の時刻が朝9時半に予定し、その前に近くにある寺院の何人かの僧侶が来るように頼んだらしかったです。仏教の習わしによると「放生」とされる魚と小鳥が僧侶の唱えたお経を聞いてからこそ、そのご利益を示してくれると言います。そこで僧侶たちは15分ほど泥鰌と小鳥の入った籠の傍に立ち、荘厳な雰囲気の中で「放生」のお経を唱えていました。お経が終わると傍に待っていた信者たちが鉄の籠の扉を開け、次々に丁寧に小鳥が空に飛び立つようにしました。中に人間におじけて迷ったりうまく出られなかったりした小鳥もいましたが、どうにか皆空に飛び立つのに成功しました。
 それから魚を金塔や銀塔で有名な杉湖の畔に持って行って、そこで皆先を争うように湖水に放していました。放流された泥鰌などは気持ちよさそうに深い所に泳いでいき、瞬く間に見えなくなってしまいました。これで信者たちは放生による功徳が達成され、筆者も少し生態保護に尽力したことに安堵の胸を撫で下ろしたように感じました。



中に台湾泥鰌は入っていますが、間もなく自由になります。

バケツに放生用の泥鰌がいっぱい入っています

放生に恵まれた小鳥がいよいよ幸せな未来に旅立っていくでしょう

僧侶たちがお経を唱えています

僧侶が鳥たちに「旅立ち」の水を撒いています

丁寧に籠の扉を開け小鳥を外に放しています








  
金塔と銀塔で有名な杉湖で、今回の放生の場所とされました

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作者:( 「ふれあい中国」)

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