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2013年09月19日九一八事変(満州事変)の記念日二桂林の「八百壮士墓」を参拝しました。

今日は九一八事変(満州事変)82周年の記念日です。
  1931年9月18日に瀋陽)郊外の柳条湖で、日本の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件に端を発し、瀋陽を占領しました。九一八事変は日本関東軍部のでっち上げの自作自演の軍事衝突事件です。それから五ヵ月後、関東軍は満州(現在の中国東北部)全土を占領しました。九一八事変によって、日本と中国の間の矛盾がますます激しくなってきて、中国と日本との民族矛盾も悪化されました。日本の国内では主戦を主張する軍部の地位が上げる一方、国会と内閣大臣の権力が弱くなってきて、日本国は全面的に中国を侵略する道に乗りました。
 広西省は中国の南端にありますが、中日戦争の中にやはり酷く被害を受けました。1944年の10月28日から11月の10日まで桂林で「桂林戦」(桂林を守る)がおこりました。日本軍の方面は装備精良の7つの師からなり、合わせて18万人いました。それに対し、中国方面は桂軍(地方部隊)の31軍の131師と46軍の170師の一部からなり、合わせて2万5千人(7千人が臨時募集した新兵です)しかいませんでした。戦いは14日間続きましたが、最後には部外からの援助がないので、11月8日に桂林城はとうとう陥落されました。それで町の中で残酷な市街戦が始まりました。日本軍が27回市区の中に侵入しましたが、損害が酷かったので、止むえず撤退しました。伏波山を守る392団の1営5連は おびただしい数の日軍を殺傷した後、還珠洞に撤退し、結局はガソリンを洞窟に入れられて、全員焼死しました。漓江の水上の戦いは更に酷かったです。兵隊と地元の民団は手榴弾を体に縛り、筏に乗って上陸用舟艇.を爆発しました。日軍は漓江で戦死した人が7000人に達したそうです。当時の戦いを目撃した老人の回想によって5キロまでの灕江の水面に全部中日の兵隊の死体は浮いていて、河水が赤く染められました。
 今回の戦いの中に指揮官の131師長の闞維雍が城が破れた際、鉄封山にある師部で拳銃で自殺して、44歳の年で殉国しました。闞将軍の忠勇に感服されて、日本軍が闞将軍の遺体を桂林城防司令部に葬って、お墓の前に「支那陸軍闞維雍将軍之墓」と書いた木札を立てました。城防司令部の参謀長の陳済恒将軍が重傷を負って、部下に迷惑をかけないように自殺して、51歳で亡くなりました。31軍の参謀長呂旃蒙将軍が部下と包囲を突破する時に日本軍と肉弾戦して、40歳で亡くなりました。普陀山七星岩洞窟(七星公園にある)に隠れた野戦3病院の800余人の将兵と負傷兵が日本軍にみつかられて、全部洞窟の中に毒殺されました。
 今度の戦いは中日戦争の中に中国の軍隊が日本の兵隊より戦いが勇猛だと日本軍が思う二回の戦役の一つだそうです(もう一回は日軍の第五師団が敗れられた昆侖関戦役です)。中国方面は12000人(半分は毒ガスにようって亡くなったそうです。)戦死しました。日本軍は死亡が13000人、負傷が19000人、行方不明が300余人だったそうです。戦争の前には桂林市の人口は60万人いましたが、戦争の後、山紫水明の桂林の町は瓦礫になり、人口はわずか1万人余人まで減りました。
 1945年戦争が終わった後、七星岩の中で823人の被難者の遺骸が見つかられました。1946年1月、国民政府は闞将軍のために国葬を行い、陳済恒将軍、呂旃蒙将軍と一緒に普陀山の覇王坪に合葬されました。人々はそれを「三将軍墓」と称しします。同じ時に桂林の国民政府が七星岩の中で見つかった823人の遭難者の遺骸を「三将軍墓」の隣で合葬し、碑銘に「八百壮士墓」と書かれました。蒋介石は記念碑に「英風壮節」と題辞し、桂林の最高地方の李宗仁と白崇禧がそれぞれ「浩気長存」と「英霊長峙」を題辞しました。
 時間のたつにつれて、現在、漓江や七星岩や伏波山などはすべて観光地なり、町の中に戦争の痕跡もほとんどなくなりましたが、中日の両国民が82年前に桂林で起こったあの悲惨な戦争を忘れないようにしてほしいです。前事を忘れざるは後事の師なり。九一八事変(満州事変)の記念日に中日の間にいつも平和で、永久戦争がないようにお祈りしましょう。



ここから普陀山を登ります。



山を登る途中普陀精舎というお寺がありました。

10分ぐらい登ると覇王坪(現在は博望坪という)に着きました。石碑に「三将軍墓」と「八百壮士墓」のことを紹介する字を彫られています。

記念碑の裏の面に蒋介石の題辞が刻まれています。

三将軍の墓です。真ん中は闞将軍のお墓で、その右は陳済恒将軍のお墓で、その左は呂旃蒙将軍のお墓です。











桂林の最高地方の李宗仁の題辞ー「浩気長存」です。

白崇禧が題辞した「英霊長峙」です。


 
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作者: 「ふれあい中国」
 

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