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2012年10月22日150年にわたる広州の沙面の歴史を振り返りましょう

    広州市内を流れる珠江の北岸寄りには昔、川の小さい中州には過ぎなかった0、3平方キロメートルの小島はありました。最初の名前が拾翠洲と呼ばれました。ここがもともと、珠江の水に流されて出来た砂丘なので「沙面」とも呼ばれました。宋、元、明、清の各時代にわたり、国内外に通じる埠頭と観光地として利用されました。
   1857年に起きたイギリスとフランス連合軍によるアロー事件(第二次アヘン戦争の一部)で、沙面島はイギリスとフランスの租借地として不平等条約により弱腰の清朝から強要するようにされました。そこで1861年から、英仏政府は当時、鎖国状態だった清の政府では、外国人との貿易が許された唯一の「広東十三行」に近い原因でしょうか。沙面という小島を租借し島の周りに堤防を造り、それぞれ橋で陸地とつながるようにしました。その時、島の西の5∕4に当たる17、6ヘクタールはイギリス領に、島の東の5∕1に当たる4、4ヘクタールはフランス領とそれぞれ分割されることになりました。それ以来、英仏両国が沙面でいろいろな特権を獲得し、半世紀にわたり、領事館などの政府機関や関係の企業、生活関連の施設などが大量に傾れ込みました。それ以来、両政府の領事や政治、金融関係、あらゆる方面の人員もここに進出して「国の中の国」という様相を見せていました。当時では中國の商船などの船が沙面に停泊することもできないほど、中國人が不平等な待遇を浴びせられました。変わりに西洋風の建物が多く建てられ、主なのがイギリス領にあるキリスト教のチャーチとフランス領にあるカトリック教の礼拝堂、イギリスのHSBC銀行、イギリスやフランスの領事館などを始めとして西洋風情趣に満ち溢れる建物がぎっしり立ち並びぶ状態となってしまいました。そのためでしょうか。沙面は中國人、近隣諸国の民族解放運動を呼びかける人々に抗議したり、攻撃されたりする的となりました。この中で、1920年に起きた広州市民による大規模な反植民地デモ、及びベトナムの革命勇士だった範鴻泰がフランスの領事館を襲撃した事件があり、沙面という小島を揺さぶりました。第二次世界大戦中の1942年になり、当時イギリスに宣戦した日本政府が沙面のイギリス領を占領して南京にある汪兆銘の傀儡政府にも譲りました。1943年にフランス領も同傀儡政府に返されることになりました。同年、抗日戦争を続けた重慶蒋介石の国民政府が再びイギリス政府と「イギリス領を中国に返上する」という協議を結びました。それに第二次世界大戦が終了し、新しいフランスのドゴール政府が沙面のフランス領を国民党政府返還するのに調印しました。ここで沙面がようやく「二転三転」の運命に終止符を打つことができました。
 1949年、新中国が誕生し、沙面が広州市人民政府の管轄下に納められ、島の南に市民たちの憩いの場所として沙面公園を開設しました。更に新しい沙面を改革開放の前線と位置づけにして、世界的な注目を集めるように、中国有史以来、中外合作による初の五つ星のホテルである白天鵝賓館を建てることになりました。1983年2月に開業した白天鵝賓館は当時の中国人にしてはとても豪華で宿泊できないほどでした。それより、当時の中国人には納得できないことがありました。それはかつて外国列強に侮辱された沙面では、またもや外国資本を導入し、共にホテルを経営するということに納得ができないわけでした。
 1997年、国の国務院が沙面に残った150棟の建物を全国重要文化財として指定し、保護すると発表しました。その後、広州市政府が資金を繰り、これらの建物の修繕などの保護に乗り出しました。今、沙面が広州市のもっとも有名な観光ポイントでもあるうえ、市民たちにとって欠かせないレジャーの場所でもあります。様々な西洋風の建物が残っているので、その時代の建築様式を集中的に反映する教科書のように感じられます。特に42棟にも上る建物がそれぞれバロック様式、ゴシック様式、回廊様式、ネオクラシっクな様式や中西一体様式などの特色で色濃くエキゾチックなムードを醸し出しています。
 昔の名残りに愛着を覚えているでしょうか。現在、アメリカの領事館を始めとして、いくつかのヨーロッパ系の国の領事館が沙面に開設しています。また、外国企業の事務所や地元会社のオフェス、観光関連の店などが揃っています。昔の単一の英仏に支配された租借時代から、今の多様化を見せる国際社会に変わりつつあります。このように150年以上にわたる沙面の歴史を振り返ってみると、その時代の中國全般の歴史が垣間見ることができるような気がします。これもまた沙面観光の価値そのものだと思います。



沙面島の南に高く聳えている白天鵝賓館は初めて中外合資によるホテルでした。最初、地元の人々には外資の導入に対する納得ができなかったが、現在、沙面島のランドマークのような存在になっています。

高いビル群に囲まれた沙面島の南に出来た沙面公園は市民たちにとってなくてはならない憩いの場所として愛用されています。それに異国情趣にあふれた沙面に様々な人物像の彫刻が置かれています。


公園でマイペースで鍛えている市民たちで、皆、定年退職した人達でし
う。




沙面公園の南を流れているのが中國四番目の川である珠江であり、昔、ここが賑やかな港として使われたそうです。

西洋風の建物の見物は沙面観光のライトモチーフであり、ここにはいろいろな西洋の建築様式で築いた建物があり、まさに目を見張るほどです。



2010年に広州で行なわれたアジア競技大会に向けて沙面の建物に対する美観工事もしました。













昔の租借時代のイメージを強めるためでしょうか。町の至る所に西洋人風の人物像が安置されています。


和やかなムードを演出するため、可愛い子供の彫刻物が安置されています。



租借時代から植えられた並木が長閑な沙面島づくりに寄与しています。

 

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作者: 「ふれあい中国」
 

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