水師営会見所

 203高地の陥落を受けてロシア側から停戦の申し入れがあり、1905年1月5日、乃木将軍とロシアのアテッセル中将の会談がここ水師営で行われた。水師営という地名は、1715年(清の康煕54年)に康煕帝がこの地に設けた軍の駐屯地の名前からきている。現存の建物は当時の資料を参考して忠実に再建されたもの。中には日露戦争時に実際に使われている品物が展示されている。