靖江王城

  靖江王城は桂林市の中心に位置し、独秀峰という山を囲むように築城された明代の王城です。19.78万㎡の広大な敷地を、幅5.5mの城壁がぐるりと囲んでいます。明代の始めに皇帝の朱元璋が朱守謙を靖江王に封じると、王府の建造を始めました。洪武26年(1393年)に王府は完成し、周囲の長さ1783m、それぞれ東、西、南、北に4つの門が設けられています。中心の宮殿建築を取り巻くようにして、寝宮、楼堂庁館や亭閣軒室などを配置し、壮大な建築群となっています。その後270年あまり、14代の靖江王がここを王宮としていました。王府は幾度かの戦火に遭い破壊されましたが、その後の修復により、ほぼ当時の状態で再建されました。現在、城楼には‘状元及第’‘三元及第’‘榜眼及第’の三つの牌坊がはめ込まれています。ここには民国北伐時代、孫文大統領も一時滞在していました。その後、広西省役所となり、桂系軍閥李宗仁と白崇禧の本拠地にもなりました。

科挙試験
 
状元及第と三元及第、榜眼及第は封建社会の科挙試験の言い方です。科挙試験とは隋代から清代末まで、官吏及び後備官吏を選ぶ試験制度です。明代が科挙試験の最盛期でした。まず、年齢に関わらず童試に合格し、生員(秀才)の資格(科挙試験に参加する資格)を得ます。三年に一回の郷試(省で行う)を受けて合格すると、挙人(第一位は解元と呼ばれた)になります。一年後の会試(首都で行う)に挑戦し、貢士(300名中第一位は会元)の資格を取ると、次の殿試(皇帝が出題する最高級の試験)に進めます。殿試に合格した者は三つ(三甲)に区分されています。一甲は進士及第を賜り、第一位の状元、第二位の榜眼、第三位の探花が三甲鼎と呼ばれます。二甲は進士出身、三甲は同進士出身が賜われます。状元及第は状元を得た人へ賜わるもので、一人で郷試、会試、殿試とも第一位になると三元及第と言われます。殿試の第二位に合格すると榜眼及第となります。