霊渠

霊渠は興安運河とも呼ばれ、桂林から北に66km離れた興安県にあり、紀元前214年に秦の始皇帝が中国統一を目指していた時に、嶺南地区に兵力を送るために史禄という人物に命じて開削した運河です。霊渠は科学と合理性を重んじ、巧みに設計された運河として、後世にも伝えられています。霊渠は秦の時代の三大水利施設の一つに数えられる上、中国古代の中でも指折りの水利施設でもあり、世界で最も古い運河の一つと言われています。霊渠の開通により、秦の始皇帝が目指した統一と中原と嶺南の文化交流が実現し、嶺南地区の文明開化に大きな役割を果たしました。このため、霊渠は中国の国家級重要文化財に指定され、2000年が経過した現在でも水運と灌漑で役に立っており、桂林の観光コースとしても注目されています。
霊渠は主に南北に開削した二本の運河(クリーク)に分かれており、他の施設に犂の口、大天秤、小天秤、水門、秦堤などが挙げられます。南北に分かれた二本の運河は霊渠を中心に開削され、全長34kmにも及びます。
「犂の口」は運河を分流させる役割を果たしているだけではなく、洪水から大、小天秤を守ることもできます。周囲は長方形の石が積み重ねられ、その先には農機具の犂の刃のように鋭いので、「犂の口」と呼ばれています。
大天秤と小天秤は、川の水量と水位を調節する施設であり、犂の口の後方に位置し、共に「人」字型の構造をしており、両側の運河と繋がっています。この二つの働きで、湘江上流の海洋河から流れる水量の三割を南の離江、七割を北の湘江に振り分けています。長方形の石で構成される大、小天秤は内堤と外堤からなり、内堤の勾配は高く、外堤の勾配が低くなっています。実地調査によると、大、小天秤の基礎を築いているのは水に強い松の材木であり、その上に長方形の石をぎっしり敷き詰めています。それをしっかり固定させるために、石の表面の削った溝に溶かした銑鉄を注ぎ、冷却して頑丈な鉄の網を作り出す技術を導入しています。長さ344m の大天秤は北側に、130mの小天秤は南側にそれぞれ配置されており、湘江から流れてくる水量をせき止め、両側に接続する運河に流れる仕組みなので、いつでも船の運航が可能な水位を確保しています。また、豊水期になると、余分な水が大、小天秤を超えて湘江の古い川底に流れていくので、運河での安全な運航が保障されています。
陡門(水門)は全長34kmに及ぶ南北の運河に設置され、水位を調節して船を通航させる施設で、一般的に水位が低く、流れが早い場所に造られ、歴史上で最も多い時には、36か所も存在したそうです。このことから、霊渠の水門は世界の水門の父と呼ばれています。
泄水天秤は大、小天秤とほぼ同じ役割を果たし、主に洪水が発生した時に溢れた水を湘江の古い川底に排泄させるための施設で、洪水の衝撃から堤防を守ることができます。

四賢祠
四賢祠は霊渠の開削に務めた功労者に関する秦の史録と、過去の霊渠の修繕と増築に貢献したと伝えられる漢の時代の伏波将軍?馬援、唐の時代の桂管観察史?李渤、同じく唐の時代の防御史?魚孟威を祭る祠でしたが、元々は元の時代では仏教のお寺として機能しており、その後、祠として改築されましたが、1851年の太平天国蜂起による戦火の影響で焼かれましたが、1985年に改めて建て直されました。祠の中には四人の彫刻像が飾っているほか、入口の前に「天下の奇観」と呼ばれる石碑が大木に飲まれるような勢いで、人気の観光スポットとなっています。

コース:
①仿古遊(秦大埧、霊渠遺跡):入口→解説室(水系図と霊渠全景模型図の解説)→美齢橋→四賢祠→状元橋→南陡閣→大小天平→鏵嘴→南陡閣→秦文化広場→終わり
②尋秦之旅(秦大埧、霊渠遺跡+古船遊):(仿古遊)入口→解説室(水系図と霊渠全景模型図の解説)→美齢橋→四賢祠→状元橋→南陡閣→大小天平→鏵嘴→南陡閣(仿古船に乗る、全長2㎞)→カササギの橋→飛来石→排水天平→陶鋳橋→粟家橋→水街→終わり