ケイス墓(盖斯墓)

ハミ市の西郊外にあり、ハミ王陵と近隣しています。イスラム教の預言者?ムハンマドが中国に派遣した宣教師?ケイスの墓で「聖人墓」と称され、緑色のタイルに覆われたドーム型の屋根を持つことから「緑拱拜」とも呼ばれています。

唐朝に訪れたイスラム経の三人宣教師
7世紀初め、中東ではイスラム教が誕生し、その創始者であるムハンマドが中国唐王朝へケイス、ワイス、マンガスの3人の宣教師を遣わしました。3人は海のシルクロードを通り、唐の時代の貞観 2年(628年)にアラビアから広州に辿り着きました。その後マンガスは広州で病に倒れ、現在広州市には斡葛斯墓というイスラム宣教師の墓が残されており、その墓でマンガスが眠っていると考えられています。ケイスとワイスの2人は長安を訪れ唐太宗から歓迎を受けた後、陸のシルクロードを通り各地で布教活動を行いながら帰国の途につきましたが、ワイスは河西回廊で倒れ客死し、埋葬された場所は「回回堡」(回回はムスリムの名称)と呼ばれています。ケイスは西に向かってさらに布教活動を続け、唐の貞観9年(西暦635年)に敦煌とハミの中間に位置する星星峡で病没し、その地で葬られました。それから千年後のハミ王がドームを建造し拱拜(ゴンバイ)としましたが、1938年に破壊され、1945年にハミのイスラム教徒によったハミ市の西郊外に再建され、現在に至ります。

ケイス墓――新疆イスラム信徒の参拝地
総面積4800㎡の敷地は全体がレンガ塀で囲まれており、イスラム風に造られた入口をくぐり小径を進むと小高い雑木林の中にケイス墓が見えてきます。
ケイス墓は方形の墓室にドーム型の屋根を配置した構造で、高さ15mの円形の屋根は濃い緑色のタイルで装飾され、荘厳な雰囲気を醸し出しています。墓室は東西22m、南北12mの長方形の煉瓦建築で、周囲には幅3.5mの木造回廊が設けられ、下は高さ50cmの木の柵で囲まれ、巨大な回廊屋根は南北に7本ずつ、東西6本ずつの木柱で支えられています。ケイス墓は中国の伝統建築様式の特徴とイスラム寺院建築の特徴を合わせ持った建築物だと言われています。
南に面した入口から入ると長方形の部屋があり、ここはイスラム教徒参拝者のために造られた礼拝堂で、奥は墓室になっており墓室の真ん中にケイス墓が安置されています。
ケイス墓の東側には管理人の住居があり代々聖墓の管理を務めています。また西側には参拝者のムスリム墓が立ち並んでいます。
このように遙々アラビアから布教活動のために中国を訪れ、この地でその命を落としたケイスは中国西部のイスラム教徒からも聖者として広く崇められ、ケイス墓は信徒たちの参拝地として新疆、甘粛、寧夏、青海など各地から多くの人が訪れ、賑わいを見せています。