中国の興安県は美しい模範県を目指し、遺産申請が霊渠を若帰りさせた

2014年06月23日

 

現在、霊渠に関するユネスコへの申請活動はすでに中国の遺産申請の品評専門家の全会一致で《中国世界遺産予備名簿》に盛り込むことに成功しました。そこで広西チワン族自治区が正式に霊渠を持って2016年度の世界文化遺産申請へのノミネートに参加する資格を入手しました。興安県人民政府も霊渠の遺産申請をきっかけにして霊渠文化と言われる「根」と「魂」をさらに大切にしようとします。それを全人類から大事にされる宝物にし、古き霊渠の文化を次世代に伝えていき、霊渠の生命力を2000年も長続きさせようと意気込んでいます

霊渠は遺産申請により生気を取り戻しました
霊渠は都江堰、兵馬俑、長城と並び、秦の時代の偉大な工事だと言われますが、これらの遺跡がとっくに有名な観光スポットになりました。ただ霊渠だけは「箱入り娘」のような存在で、世間にはあまり知られていません。ところが遺産申請は霊渠の生気を取り戻してきました。霊渠は全面的保護と修築により、一連の文化財を回復させました。それにより景勝地、生態保護及び歴史文化を一つと融合するユニークな観光地が誕生しつつあります。

男性と女性の美を備える霊渠と水街
桂林の興安県には成都の都江堰と肩が並べる古運河があり、それは霊渠です。現在霊渠は全国の重点文物保護単位と指定され、国の4Aクラスの観光地となり、毎日各地からの観光客を迎えています。霊渠は早くも紀元前214年、秦の始皇帝が嶺南の区域への統一を早めようとして切り開いた水道工事のことでした。長さ37キロメートルに及ぶ霊渠は湘江と漓江の川を繋げさせたことから、長江と珠江の両大流域が繋がるようになりました。現在世界で最も古代における古い水利工事だと評判されています。霊渠は中原地方と嶺南地区との水運を実現させたことで、そのあとの嶺南地区における文化や政治、経済などが2000年にわたる安定と繁栄を確保できたと言えます。あなたは湘江を横切る大小天秤と言われる堤防に立つと、3割の川の水が南渠(南の用水路)を通じ、漓江の上流に流れるのに対して七割の水が北渠(北の用水路)を導入され湘江に流れます。そこで「湘漓の分かれ、北が湘江、南が漓江」という有名な構造になっています。そして大小天秤と言われる堤防は霊渠の核心的存在で巧みな設計と精巧な構造により、世の中でまれにないものと考えられます。堤防は幾千年の波などの被害にもかかわらず崩れたことはなく、人類の奇跡だと言っても過言ではないです。霊渠の港から遊覧船で霊渠沿いに興安県の街を下り、中国の江南水郷と彷彿させる水路の街に出ることが出来ます。ここは「水街」と呼ばれています。この1キロほどの街に古代の秦、漢時代の文化と中原地方の漢文化とが見事に融合しています。黒色の瓦と白色の民家が両側に林立していて、彫刻を施した窓などが目を引きます。ここにある東屋、橋、彫刻などを散りばめた建築物はリアルに霊渠の曾ての輝かしさと古めかしさを再現しています。前の方に唐の宝歴年間に造ったと言われる橋があります。霊渠に架かる最も古い橋だと言われ、「万里橋」と呼ばれます。ここから唐の都である長安に1万里があることからこう名付けられたそうです。橋の上を歩いた柳宗元、李商隠、徐霞客、袁梅、郭沫若、柳亜子などがおそらく橋の下の霊渠に感銘したのかもしれません。この水街を船で遊覧するとあたかも歴史の文化の流れを噛みしめたような感じがします。町には陽朔の街の面影があるほかに、陽朔よりも更に長閑な雰囲気が味わえられます。あの時霊渠を造った兵士が出身地である秦の風俗などを持ってきたのでしょう。そこで現地の興安県の人々の性格作りにも影響し、共に男性的と女性的性格を両立させたと言えましょう。霊渠と水街は正にその表れではないかと思います。