霊川県霊田郷の西岸村から大墟鎮の熊村までハイキングしました(三)

2012年02月13日中国観光ガイド

桂林の小学校は今日からは始りました。雨はまだしとしと降っていますが、気温はあがりました。今週の日曜日は「雨水」の節気になるので、春が間もなく来るでしょう。
さて、今日は下五馬村から熊村に行く途中にある村―「南積村」をご案内しましょう。下五馬村から熊村へ行くには約二時間半ぐらいの五馬嶺古道を歩かなければなりません。昼十一時ごろ、私たちは下五馬村を出発して、十二時ごろ、少し平の所を選んで、一時間食事がてら休憩しますと、一時頃、また旅を続けました。道はますます歩きにくくなり、こんな所を荷物を馬の背中に積んで歩くのは大変だったでしょうと思いました。一時間半歩いて二時半頃、私たち先頭部隊がようやく山を下り、一つの古村に着きました。この村の出入り口にも大木が一本あります。ただ、普通は楠木が多いですが、ここは金木犀の木です。金木犀の木が成長が遅いから、こんなに大きくなったのはかなり年月がたったでしょう。木の下に古井が一つあります。みんながここでしばらく休んで、後ろの人を待ちました。村役所の掲示板を読んで、その村は大墟鎮に属す「南積村」だと分りました。村全体は細長い形で並んでいます。前の部分は古い土塀の家からなって、あとの部分は新しい煉瓦の家が立ち並んでいます。村中いたるところに落ち着いた雰囲気に包まれていました。村の真ん中に古めかしい村の雰囲気にちょっと合わない新しいバスケットボールのコートがあります。そのバスケットボールのコートで私たちは体楽しいゲームしました。
桂林旅行.桂林パッケージツアー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



       
こんな所で食事しました。
 こんな所で食事しました.桂林 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
    村の出入り口にある金木犀の下でしばらく休憩しました。
村の出入り口にある金木犀の下でしばらく休憩しました.桂林 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 








この古井はまだ使われています。
村の出入り口にある金木犀の下でしばらく休憩しました
 

 

 

 

 

 

 

 







これは洗濯するための石たらいでしょう。
これは洗濯するための石たらいでしょう












 

 

 

 

      
この家は村役所です。掲示板の上に乗った内容によって村の名前が分りました。
この家は村役所です
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

三十年ぐらい前の産児制限のスローガンはまだ残っています。(一人目はリング、二人目は中絶と書いてあります。) 
一人目はリング

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      
 こんな辺鄙な所までよくエイズ予防の宣伝をするのにびっくりしました。
エイズ予防の宣伝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


文化大革命のスローガンと毛沢東の語録はまだ壁に残っています。
文化大革命のスローガンと毛沢東の語録.桂林

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


稲水田に牛が放し飼いしていました。
稲水田に牛が放し飼いしていました.桂林霊川県霊田郷

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


村の中にある狭い路地。
桂林霊川県霊田郷旅行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


村の人は井水を使います。
桂林霊川県霊田郷旅行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


門の横の壁に魚の尾を貼っているのは何かの縁起でもあるのでしょうか。
桂林霊田郷


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきとは全然違って、ここの辺家はみんな新しい煉瓦造りの家です。
桂林霊川県霊田郷旅行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      
 ここの村の人は素朴で、お客好きで、私たちを家まで誘って、油茶を招待してくれました。
ここの村の人は素朴で.桂林霊川県霊田郷

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



桂林霊田郷

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      
 面白いゲームをしていました。
面白いゲームをしていました.桂林

 

 

 

 

 

 

 

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コメント(1)

作者:( 「ふれあい中国」)

お客様からのコメント

1桂林浪漫2012/02/14 21:12返信

桂林市内から何時間で、この古鎮につくのでしょうか?片道2時間以内でしたら、日帰り旅行できますね。牧歌的ところがあるようで、稲刈りを終えた田圃に生えた青草を牛(水牛)が食(は)み、老木の近くに井戸がある風景、タイムスリップした感じを受けます。日本も1960年以前はこのような田舎がありました。しかしながら高度成長と、日本列島改造で殆んどコンクリートで覆われた生活居住空間に変わりました。参加された皆さんの、足元を見ると、ハイキングシューズを履かれていて、草鞋から布靴へ、そして合成皮へとなかなか立派です。文革の頃の写真みるとこのような靴を履いた人は少なかったのでは。天秤棒で水汲みバケツを前後に担ぐ写真、なかなかいい風情です。僕は小学5,6年までは担ぎました。中学になると水道(自来水)が家々に敷設せられ生活が一変しました。水汲みがなくなり、当然、水瓶も必要なくなり、大きな水瓶が畑野の隅に転がっていました。その中に入り、「かくれんぼ」をして遊んだことが思い出されます。土壁に、文革のスローガン、一人っ子政策、エイズ予防宣伝、時の施策が落写されて老三届時代の親爺には、当時の狂気沙汰が彷彿としてきます。30歳以下の中国の方が、このような「政策スローガン」を見てどのように感じられるのでしょうか?。あと、10年もしたら、もう土壁の家もなくなり現代風な家並に変わるのでしょうか?保存できるものは保存し、長く民族の文化・誇りとして残していただきたいね。

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