霊川県霊田郷の西岸村から大墟鎮の熊村までハイキングしました(二)
2012年02月10日中国観光ガイド
桂林 小雨 1~4℃
立春後、桂林の気温が上がり、暖かくなりました。桂林の一番寒い時がもう終わったと思いましたが、昨日からまた気温が下がって、それに前より更に寒くなりました。春が近付いて来たと思うと、また去っていきました。仕方なく、続けて冬の寒さを堪えて、春が来るのを待つしかありません。
さて、続けて、この前のハイキングのことを話しましょう。東岸村を抜けて、私たちは山道を登り始まりました。30分ぐらい山の峠を登ったり、下ったりしますと、「上五馬村」が見えてきました。村の中で古い家を壊して、新しい家を造る工事をしている村の人がいました。惜しい事ですが、誰でもいい家に住む権利があるから、仕方はありません。村のもう一つの所で、半分潰れた家の壁の上にある文革大革命から残した毛沢東の肖像画を見えました。世の中のよく分からないねと感慨ぶかく思いました。「上五馬村」を出て、10分間歩くと、「下五馬村」に着きました。村の入り口に古い樟の大木が一本あります。出会った村の人に木の樹齢を聞きましたが、具体的なの時間はよく分かりませんが、数百年の歴史はあったと答えてくれました。「上五馬村」と同じぐらいだろうと思って、私たちは村の中に入らずに「五馬嶺古道」に就きました。
「五馬嶺」古道は「湘桂古商道 」南コースに属しています。宋代から、桂林の「霊渠」の運河が損壊されたことなどで、運航が不便になりました。そのうち、湘南(湖南省南部)の湘江の上流の地域からスタートして、広西北部の都厖嶺と海洋山を抜けて、全州、興安と霊川の三県を経由して、最後には離江の畔にある「大墟」古鎮に着くという商売用のコースが開かれました。今になってもう千年の歴史がありました。おかげで、500年間も繁盛が続けた歴史の中に、「大墟」、「熊村」、「長岡嶺」のような古鎮、古村が形成しました。
「上五馬村」まで行く山道です。
峠から東岸村の水田と畑が見えます。土地が少ないです。
向こうの村は「上五馬村」で、山々に囲まれています。
村の出入り口でこの木を見ました。最初は木の葉だと思いましたが、よく見たら、木の上に寄生するしだ植物だと分りました。
古い家を壊して、元の場所で新しい家を造る工事をする村の人です。 伝統を守ることは現実の生活と矛盾していますね。
これは民間では「厚皮菜」、「牛皮菜」、「豆腐菜」などと 言います。普段は豚によくやるのでまた「豚菜」と言います。学名は「莙達菜」(不断草)と言います。去年の四月八日、日本福島原発の放射能漏れの影響で、広東省で「莙達菜」から微量の沃素131を検出しました。この野菜は汚染に敏感するかな。
新しい「春聯」を飾っているから、この家には人がまだ住んでいると思います。地面には爆竹の屑が残っています。貧しい生活を過ごしているかもしれませんが、ちゃんと生活に自信を持っているようですね。
この半分潰れた家の中と外の壁にはまだ毛沢東の肖像と語録を残っています。でも時代はだいぶ変わりました。家の前でいろんな思いをしました。どうですか、毛沢東は見えましたか。
油菜の花を見て、春が来た様な気がしました。
奇麗に咲いている蚕豆の花。
ここは「下五馬村」の出入り口です。中国のどこの村へいっても出入り口にい古木が一本植えられていますね。
「老井」もあります。ただ、水汲みはバケツではなく、ミニモータ ーで吸い取るようになりました。
親子三頭で(牛も産児制限?)山へ草を食いに行きます。ここの牛は放し飼いです。でも日本の放し飼いと違って、朝、牛が自分で出かけて、夕方になるとまた自分で牛小屋に帰ります。利口でしょう。よく見て、牛の頸の所に竹で作った鈴がかけられています。これは自家の牛の印にもなるし、夕方、牛の帰りが遅かったら探すには便利です。
大木の右の所に木柱が数本立てられたんですね。昔そこはお寺だったそうです。今は崩壊して、大黒柱だけ残っています。寂しいですね。
スコップを持って、出かける村の人にでありました。冬にはどんな野良仕事があるかと思って、挨拶すると近くにある営林場へ果樹の苗木を掘りに行くと教えてくれました。農閑期と言っても休んでいないね。それでも貧しい生活をしていて、なぜですね。ここには耕地が少ないのは一つの原因は間違いないです。交通不便ももう一つの原因かもしれません。同時に昔の建物と風習がちゃんと残してきた原因にもなっているかもしれません。
村の近くに立派なお墓があります。お墓のの主は生前お金持ちかもしれません。数百年後の子孫は 自分より貧しい生活をすることが分ったらどんな思いをするのでしょう。
これが千年の歴史のある「湘桂古商道」?かつて、千年前商人たちが馬と人間の力でいろんな品物をこの道に沿って、運んだ事がありましたか。さ、体験しましょう。
小雨に濡れて、地面は非常に滑ります。
転んでしまって、お尻が痛そうです。
転ばないようにみんな横を歩いていました。お金は儲かりにくいですね。
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コメント(2)
作者:( 「ふれあい中国」)
まるで、日本国、紀伊山地の「熊野古道」ですね。それか箱根の旧街道ににていますね。石を敷き詰めてあり、表面が擦り切れてつるん、つるんで滑りそうです。古井戸の写真見ていると、村人が営々と命を繋いできたことが思いやられます。2時間もたたずんでいれば、短編小説が書けそうですね。素朴な村人と、そこにへばりついて生き抜く人、そこの村から科挙に登第し中央に向かうために、両親、兄弟、恋人との別れの舞台・・・・・・。いいねー、こんな郷愁を感じる風景、もう日本には無いでしょう。春の若芽の季節によし!秋の紅葉の季節にもよし。嗚呼・・・・・・・。
先生も古村、古鎮がお好きですね。同じ古村、古鎮を見て、すごく感動する人もいれば、どんな思いもしない人もいます。「2時間もたたずんでいれば、短編小説が書けることができる」人がいると信じています。例えば、先生がその一人だと思います。それは先生が自然と歴史に溶け込まれる人間だから。