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2012年08月28日中国の伝統的な祭りー「七夕」

旧暦の77日は中国の伝統の祭りの「七夕」です。
伝説によると、毎年の農暦の77日の夜は天上の「銀河」の両側にいる「牛郎」(牽牛)と「織女」(織姫)が鵲の橋を渡って合う時だそうです。民間の伝説によって、天宮にいる「織女」が姉妹たちと人の世に降りて、せせらぎで河水浴をした際、「牛郎」に出会って、そしてお互いに愛し合ったそうです。仲良しの二人は結婚して、子供が二人いました。一家団欒で幸せに暮らしていました。勝手に人間社会に降りて、そして俗人と結婚して、子供までできた「織女」のことを知った玉帝と西王母はかんかんに怒って、「下界に降りて、彼女を天上まで捕まえ」と天神に命じました。妻を捕まえられた「牛郎」は子供を担って、必死に天神たちを追いかけました。「銀河」の所まで追って、もう少しで追いつかんばかりの時に西王母は急いで頭に差し込んだ金の簪を抜いて、「銀河」にひくと静かだった「銀河」はその瞬間波の荒っぽい川になり、「牛郎」の足を止めました。二人は「銀河」を隔てて涙が目に溢れながら、相手を見ることしかできませんでした。それを見て可哀想に思う玉帝と西王母は二人は毎年の77日(旧暦)に一回合うことを許しました。その日には世の中の鵲はすべて天上まで飛んで行って、「銀河」の上に「牛郎」と「織女」のために鵲の橋を掛けるそうです。「七夕」の静かな深夜に葡萄あるいは瓜の棚の下にいるなら「牛郎」と「織女」二人の仲良しの内緒話が聞こえるそうです。
「織女」が美しくて賢い仙女なので、民間では若い女性たちはよく「七夕」の夜には「織女」に知恵、巧み(刺繍、編み物など)と目出度い縁組を願います。それで、「七夕」はまた「乞巧節」とも言うわけです。
桂林資源県では「七夕」の夜に願いを込めた「河灯」(灯篭流し)を流す風習があります。私の故郷の貴港市の山懐に住んでいるチワン族の人は農暦の7月7日から15日までの間は祖先と亡くなった老人を祭る風習があり、その祭りを「鬼祭り」と言います。
今年の「七夕」に故郷の貴港市に行ってきました。父親が今年の新暦の77日に亡くなって、旧暦の77日までちょうど49日たちました。広西では老人が亡くなった49日の日に「做七」の風習があります。「做七」と言うのは亡くなった老人を祭る行事です。行事は老人が亡くなった七日から一回行い、全部で七回祭ります。最初の七日の行事は「頭七」と言い、最後の七日の行事は「尾七」と言います。「尾七」を行った後、葬儀は一応終わるわけです。私は父親の「尾七」の為に帰えりました。仏教の話によって、「尾七」の後、父親はもう無事に別の世界に着きました。
「尾七」の主な行事は墓地の所へ行って祭ることです。「七夕」の日の朝7時から行事の準備が始まりました。墓地は十年ぐらい前に私が爺ちゃんと婆ちゃん及び将来父と母のためにチワン族の村人から土地を買ったのです。今買うならはだいぶ高くなりました。それは私が親に対した一番の親孝行のことでしょう。墓地は「龍山」というの麓にあります。車に30分ぐらい乗り、それから5分間歩くと墓地に着きました。まずお墓の周りの草をとり、それからお墓の上に新しい土を添えて、お墓の形を丸くしました。途中、父の墓から小さいコブラが出てきました。私がそれを殺そうとしたとき、皆に止められました。それは父のお墓を守る「龍」で、ネズミ除けになると言われました。祭る供え物は二種類ありました。一つは食べ物と飲み物でした。それぞれお酒、お茶、フルーツと御馳走などがありました。それは焼かずに、人間はまた食べられます。もう一つは使い物でした。伝統的な物はは紙銭、衣類、靴などがありますが、近年は別荘、車、電気製品、さらに美人の供え物もありました。これらの物は全部で焼くことによって冥界に届けるわけです。そのような行事はなくなった佛のためというよりむしろ生きている人間を慰めるためだといったほうがいいかもしれません。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広西の南部の景色は北部の桂林の景色とはちょっと違います。砂糖黍がよく栽培されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鬼祭り」の間に名の知らない雪のような真っ白な花が至る所に咲いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 父のお墓は「龍山」の麓にあります。周りには水田と畑が続いています。風水のいいところでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは爺さんと婆さんのお墓で、父のお墓のすぐ側にあります。息子がお供にして、寂しくなくなるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

供え物は豊富でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伝統な「金元宝」(金の塊)、紙銭、衣類、靴などの他、人民元ンとアメリカドルも送りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人民元は昔の10元の人民元のデザインですが、金額はなんと一枚で10億でした。その他、パスポートもありました。冥界から外国に行くには誰が止められるのですかと私は聞きました。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 
大きい封筒にはちゃんと送る人と受ける人の名前が書いてありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「別荘」もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

焼いて、冥界に送ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完全に焼かない部分はちゃんと向こうの世界まで届かないと信じこんで、丹念に供え物を焼きました。その灰は風に飛ばされて、向こうの世界に届けていくでしょう。

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

訪問者(1822)
コメント(2)
作者: 「ふれあい中国」
 

コメント

1桂林浪漫2012/09/04 12:18

陸さん。父親の「49日」を終えらえ、法要が済みましたですね。中国では、喪に服すること3年と知りえていますが、それは旧い科挙の制度があるころの事でした。 お墓は、日本と違い「土饅頭」のように見えますが、土葬の風習のなごりでしよう。広西の土俗、風習をこのように紹介していただけると、私の永住するに助かります。

  • 2012/09/04 12:18

    有留先生、コメント頂き、ありがとうございます。最近、会社の本ページが更新中で、先生のコメントの返信は遅くなり、大変失礼しました。中国の田舎のお墓はまだ「土饅頭」の形です。そして、農村部では火葬場がないので、まだ土葬しています。都会部では土葬は禁じられています。

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