零陵の見物ーー湖南省永州観光シリーズ(四)

2012年11月29日中国観光ガイド

26日、私たちは江華から零陵に移動してきました。江華から零陵まではバスで約3時間半ぐらいかかりました。
零陵は昔零陵県と言いました。湘水と瀟水がここに合流するので、また「瀟湘の地」とも言われました。1995年に永州市が成立されて、零陵県は永州市に所轄する一つの区と成りました。
零陵は長い歴史と豊かな文化のある町で、歴史の中で、たくさんの文人墨客がここへ訪れた子があります。唐代の草書で有名になった懐素は零陵の生まれです。そして、唐の有名な文学者の柳宗元が零陵に左遷されて、10年間住んだことがあります。そのほか、宋代の徐霞客、欧陽修(蘇東坡の先生)、陸游、元結、黄庭堅、周敦頤などの名人もここに訪れたことがあります。
書道家の狂人だと言われた懐素はが10歳の時、出家しました。書道が好きな彼は紙を買うお金がなかったので、お寺の近くで芭蕉を一万本あまり植えて、その葉っぱの上で習字しました。彼の住んでいたお寺はそれで「緑天庵」と称されるようになりました。同じ湖南省出身の毛沢東は懐素の草書が大好きでまた彼の字をよく真似したそうです。1972年に中日国交正常化の時、毛沢東は田中角栄元首相について訪中する外相だった大平正芳に懐素の「自叙帖」の影印本をプレゼントしました。
柳宗元は零陵に10年間た間に「捕蛇者説」、「永州八記」、「漁翁」(年寄りの漁夫)、「江雪」などの文章と詩を書きました。「捕蛇者説」、「永州八記」は中学校と高校の国語の教科書に納まったので、湖南省の永州という所は中国の人によく知られるようになりました。
零陵には有名な観光地は柳子廟、緑天庵、武廟、文廟、「蘋島」、周家大院異蛇山庄などがあります。
零陵に滞在する間、私たちは異蛇山庄と柳子廟を二か所見物しました。
柳宗元の「捕蛇者説」の書いたとおり、永州は蛇を産する所です。異蛇山庄は蛇を利用して、薬酒を加工する酒の工場です。工場を見物する間、蛇のショーが楽しめました。
柳子廟は零陵区の瀟水川の西岸に位置する柳子街にあります。柳子街は唐代から建てられ、柳宗元はこの街に住んだことがあります。現在の柳子街の建物はほとんど清の末と民国時代に建てられたのです。街路は昔ままの石畳の道で、道の両側は卵石で敷かれているので、町全体は古めかしく感じられました。柳子廟は814年に零陵県の地元の人が柳宗元を記念するために建てられました。現存する柳子廟は1878年(光緒)に再建されたもので、完璧に保存されています。中には柳宗元の彫像と陳列室、石碑などがああります。

柳子廟は零陵区の瀟水川の西岸に位置する柳子街にあります。

柳宗元の「捕蛇者説」で永州は毒蛇の産地だと中国人によく知られています。

各種類の毒蛇を利用して薬酒が作られています。







美しい瀟水でした。

柳子街の入り口は瀟水川のかつての埠頭で、賑やかな繁華街だったでしょう。

こののんびりした場面を見て、思わず子供ごろの貴県の西江の港を思いだられました。

 街路は昔ままの石畳の道で、道の両側は卵石で敷かれていいます。










今まで見た一番良く保存された昔の舞台でした。





柳宗元の「永州八記」の文章とそれいに応ずる八景が刻まれた石碑です。



文は韓愈が作り出して、字は蘇東坡が書いた「荔枝碑」は柳子廟の最も貴重な文物です。「荔枝碑」は主に柳宗元の平生の業績を称えるする文です。文章の初めは「荔枝丹兮焦黄」の句があるので。「荔枝碑」と名付けられたわけです。

 

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作者:( 「ふれあい中国」)

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