独克宗古城

   雲南省シャングリラに「独克宗」という古城があり、仏経に書いてある香巴拉理想国に応じて建てられたそうです。1300余年の歴史を持っています。


   独宗古城は中国で最も完全に保存されたチベット族の居住地であり、雲南省茶馬古道の交通の要でもあります。中甸即ち建塘は四川省の理塘、巴塘といっしょにチベット王様の三人息子の封地です。昔から、中甸は雲南省チベット族地区の政治、軍事、経済、文化の重要な所です。千百年にわたって、戦火の見舞われを受けたこともあり、「茶馬互市」の賑わった時代も経ていました。ここはチベットと雲南の少数民族の文化交流の窓口,漢族とチベット族の友誼橋,雲南省、四川省とチベット族自治区「大三角」の交通の中枢だと呼ばれています。


   唐代に雲南省北西部は吐藩王朝に属しています。676年から679年にかけて吐藩は維西其宗に神川都督府を設置し、大亀山に官寨を建て、石を積み上げて城を建造しており、「独克宗」と名付けられ、即ち歴史上の有名な「鉄橋東城」です。言い伝えによりますと、古城の建造する時に仏様は古城の向こう側にある山の頂上で遥かに古城を望んでいた際に、大亀山はまるで蓮花生大師が蓮の花の上に座っているように見えたそうです。だから古城の構造は八片の蓮の花のように形作っています。


   明代に、中甸は麗江木氏土司に占領されたことが二回あります。木氏土司は大亀山で「香各瓦」寨を作っており、チベット語で石山寨を意味します。この場所は元の大亀山の「独克宗」です。後に、?子河畔に「大年玉瓦」寨を建て、チベット語で「尼旺宗」と呼び、日光城を意味します。二つの村は遥かに向かい合って、中甸史上の有名な「香各尼窪」、即ちチベット地区で有名な「日月城」となっていました。


   独克宗古城は昔から雲南省、四川省、チベット自治区の茶馬互市の交通の要となっていました。1688年にダライ・ラマは茶馬互市が金沙江に設けられる要求を揚げていましたために、清朝廷は中甸に市を設置することを許しており、独克宗は雲南省とチベット地区との貿易の重要な市となっていました。清代に域内の鉱業がとても盛んで、各地からの商人が集まって賑わっていました。抗日戦争時期に、日本軍はミャンマーを占領し、雲南省とミャンマーの交通を切っていました。大勢な支援物資がヒマラヤ山を乗り越え、ラサと雲南省北西部を通って昆明に運輸しており、雲南省、チベット自治区、インドの貿易の中継所となっており、八千匹のロバと二万匹のヤクが使われて戦争物資を運んでいたそうです。


   1936年賀龍将軍は中国工農紅軍第二、六軍団を率いて長征を行い、中甸を経由した際に独克宗古城の蔵径堂に指揮部を設けており、重要な会議を開いたそうです。

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