福利古鎮

福利古鎮は桂林市街から車で約1時間40分、陽朔から約8キロの漓江沿いにあります。1000年余りの歴史を持つ古い街で、陽朔三古鎮のひとつに数えられています。
南宋初年、福利古鎮近くの莫氏から、二代にわたり7人の進士が出ました。この地に建てられた、莫氏の繁栄を象徴する邸宅は皇道墟と言われました。皇道墟は南宋の嘉定年間に、戦乱で灰燼に帰しました。その後、馬山の麓に墟を再興し、清初順治年間にもとの伏茘村に移転し、伏茘墟と改名しました。かつては集落全体が茘枝の林に覆われていたので、伏茘と名付けられていました。現在の地名は民国15年(1926)、伏茘と福利が同音なので「福国利民」から字義を得て、福利鎮と改名されました。今も、古い家並みの中で、人々の昔ながらの暮らしぶりを垣間見ることができます。
福利古鎮の建物は、青みを帯びたレンガを積み上げて造られています。建物の軒には、様々な動植物の図案が彫刻されています。中には清末民初のもので、アーチ形の洋風窓をした瀟洒な住居も見られます。これらの建物には特異な共通点があります。建物の正門は、必ずその前の建物の裏門に面して建てられています。このように一棟一棟の建物が繋がり、街にある何十棟の建物が一体となっています。天後宮の正門から入って裏門から出れば、外に出ることなく直接興隆街に出ることができます。古鎮内は狭い道が多く、かつては「九井十八巷」とも呼ばれていました。今も街路興隆街には、昔日の面影が残っています。

福利画扇
福利は観光客向けの画扇産地として有名です。福利画扇の特徴は詩、書、画、印が一体となったものです。仕上がりが精巧で美しいので国内外での人気が高く、「中国画扇の故郷」と言われています。福利の画扇はすべて手作りで、材料も地元で取れたものを使っています。扇骨は川辺で取れた孟宗竹を使い、扇面は地元で漉かれた綿紙を使っています。靭性がとても強く、耐久性に優れています。扇子の絵はすべて手書きで、主に桂林山水、陽朔風景、花鳥草虫などが描かれています。