杭州の文化

  杭州は中国の有名な観光都市と歴史文化名城であり、世の人は杭州に対する称賛は尽きず、「上に天国があり、地に蘇杭がある」は最高の称賛であり、「魚米の郷」「文物の国」「シルクの府」と呼ばれています。優れた文化と西湖の素晴らしい景色、シルクの美しさ、これらは杭州の印象的なものです。


   杭州は秦の時代に都市が建設され、当時は銭唐と呼ばれていました。隋の時代に杭州と改称されました。ここの地理環境が優れており、裕福な江南地方に位置します。そのため、隋の煬帝は洛陽と杭州を結ぶ大運河を開拓し、これにより杭州は南北交流のハブとなりました。北宋の時代になると杭州は中国南部の文化大都市となりました。有名な大詩人蘇軾がここで働いたことがあります。彼は在職中に西湖で多くの功績を残しただけだはなく、西湖を詠んだ詩も残され、『飲湖上初晴雨後』はその一曲です。南宋の時代に王朝の首都に昇格し、百五十年続きました。有名な「西湖十景」はこの時代に定められたものであり、今でも国内外の観光客を引きつけています。


   歴史の長い杭州は華夏文明の発祥地でもあり、良渚文化、呉越文化、南宋文化の遺跡が保存されています。杭州は「シルクの府」と呼ばれ、今から四千七百年前の良渚から産出した絹織物はすでに杭州のシルクの歴史の長いことを明らかにしています。あの時期、杭州の人々は既に桑の木を植え、蚕飼いし、製糸の原始的なツールを製造しました。春秋の時代に越王勾践は「農桑を奨励し」を国の政策としました。唐の時代に杭州で産出されたシルク製品は既に「天下為冠」の誉れがあり、宮廷進上品となりました。南宋の時代に、杭州はあちこちでシルク製品を製造する工房があり、至るところに華美なシルク製品を着た女性がいました。そのため、「シルクの府」の美誉を得ました。後に海上シルクロードの重要な供給源となり、東南アジアやアラブ諸国に輸出し、海外から絶賛を受けました。