南京の文学

   南京の略称は「寧」であり、昔は金陵、建鄴、建康、江寧、応天などの別名があり、「六朝古都」とも呼ばれています。かつて三国時代の呉国、東晋、南朝時代の宋・斉・梁・陳がここに政権の首都ができて、この6つの王朝を合わせて六朝です。その後、十国時代の南唐、明王朝、太平天国、中華民国もここに都を置き、そのため「十朝都会」とも呼ばれています。南京は2600年近くの歴史があり、歴史上では長い期間中国南方の政治、経済、文教センターとなり、漢文明と中華文明の重要な都市となりました。「十朝都会」として、深い文化的重みを持っており、その濃厚な文化魅力はいかなる都市も及ばないものです。

   南京の歴史は春秋時代の呉国がこの地に城を築いたことに始まります。それから2500年の間、様々な政権の首都となりました。「この地に王者の気がある」と言われているだけでなく、「天下文枢」、「東南第一学」の美称もあります。南京は六朝時代の文学の中心であり、極めて輝く「六朝文明」を創造し、科学技術、文学、芸術などの方面では空前の繁栄に達成し、中華文明の新しい歴史的紀元を切り開きました。唐の時代、南京は荒廃した前王朝の都として、多くの文人がここに魅了され、世の変化を感歎しました。数多くの文人や詩人の中で、李白は南京に対する感情は特に深かったのです。李白はかつて各地に住んでいて、金陵に滞在する時間が最も長く、その詩は南京に関する200首に近く、その中に有名な詩は『長干行』、『登金陵鳳凰台』、『金陵酒肆留別』などあります。安史の乱が鎮まった後、李白は金陵の遷都も提案しました。国君であり詩人でもあった南唐の最後の皇帝李イクは南京で生まれ、一生も多くの名篇を書き、「君にどれほどの悩みがあるかと闻けば、まるで东に流れる春の河の如し。」という名句が残されていました。明の時代に世界で最も巻数の多い百科事典『永楽大典』南京国子監の主催で編纂されました。これは中国初の百科事典的な文献集であり、総計22877巻、11095冊、約3.7億字、古今図書7800冊を集め、内容は経書、歴史、天文地理、陰陽医術、占術、釈蔵道経、演劇、工芸、農芸を含み、中華民族の数千年以来の知識と財産が網羅され、中国古代の科学文化の輝かしい成果を示していました。清ペン立ておの時代、文学の大著『紅楼夢』を書いた曹雪芹は南京で生まれました。彼は江寧織造府は裕福な生活を経験したことがあります。しかし、後に家族が罪を得て財産を没収され、曹雪芹は貧しくて悲惨な生活を送りました。その後、彼は自分の経歴に基づいて世界的に有名な小説『紅楼夢』を書き、『紅楼夢』の主要な女性キャラクター12人も「金陵十二釵」と命名されていました。