太姥山

太姥山は福建省の東北部に位置し、福鼎市から真南に45キロ離れています。太姥山は前が海に高く聳えて臨み、背後に高い山並みが続いています。最高峰が917、3メートルにも達しています。ここから北に雁蕩山を望み、西に武夷山を眺めることができます。伝説によると上古の堯帝の母親は山で蘭の花を植え、道士に会って仙人になったことから、最初「太母」と呼ばれたが、その後「太姥」に改名されたと言います。
太姥山は総面積が合わせて92平方キロメートルに及びます。引き続き「太姥山岳」、「九鯉渓瀑」、「晴川海浜」、「桑田翠湖」、「福瑶列島」などの五つの観光エリアに区分されています。このほかに「冷城古堡」、瑞雲寺という二つの独立した観光ポイントがあります。太姥山はかねてから「山が美しい」、「岩が不思議」、「洞窟がきれい」、「滝がきれい」、「流れが激しい」など、自然そのままの特徴でよく知られたばかりではなく、伽藍や文字の彫刻などの文化財も多く保存されています。
地質学者の調査によると太姥山は今から9千年から一億年前に当たる中生代の白亜紀の終わりごろ、形成した花崗岩質の山だったと言われています。長い年月の間、地殻の隆起により垂直型の地盤の襞がはっきりして残されています。この襞に沿う無数の亀裂や隙間が風雨という大自然の「手」により見事に「創作」されました。とうとう掛け替えのない自然美として登場してくれました。
 太姥山は唐、宋の時代から既に信仰や文化などの繁忙期を迎え、合わせて36軒のお寺が建立されたと言われます。その中で特に国興、瑞雲、霊峰、芭蕉、天王などの寺が最も規模が大きいとされました。いまだに国興寺の跡地に360本もの柱が残され、当時の建物の規模の大きさを伺うことができるのです。そして跡地の前に仏具とされる塔と池なども完璧に保存され、当時の繁栄ぶりを余すところなく物語っています。玉湖庵は宋代の理学の巨匠とされた朱憙の草庵であり、琁釩洞が朱憙の住所だったと言われます。山の岩肌に「天下第一山」、「山海大観」、「道仙仏地」などの大文字が刻まれています。太姥山の麓にある秦嶼鎮は明の末に倭寇の来襲を抵抗した最も重要な陣地の一つとして記念され、「万古雄鎮」の誉れが伝えられています。
1988年、太姥山は福建省の太姥山風景名勝地の名前で国務院に国家級の風景名勝地のリストに登録されました。そして2010年10月3日、太姥山は屏南白水洋、鴛鴦渓、福安白雲山と並び、ユネスコに「寧徳世界地質公園」にも指定されることになりました。つい最近、2013年10月11日に、太姥山は国家旅遊局に国の最上級とされる5A級の観光地の称号を授けられました。