菽荘花園

  菽荘花園は、日光岩を下った港仔後海水浴場の脇にある。この庭園は1913年に造られたもので、その名称は主である林叔蔵の発音に近い菽荘とした。
  林家はもともと福建省の龍海角美に住んでいたが、父の林維源の代に台湾の淡水に移り住み、板橋別墅という別荘を所有した。1895年、日清戦争の勃発で一家は台湾を追われ、アモイのコロンス島に定住した。年月が経つとともに、郷愁の念が強くなり、板橋別墅に似せた花園を」造ることにした。
  中国江南地方の様式をもつこの庭園は、蔵海園、補山園のふたつに分かれ、四十四橋にある渡月亭から見る海岸は非常に美しい。