青羊宮

   青羊宮は四川省成都市で指折りの道教建築物であり、道教の教祖と仰がれる老子が青い羊を引き連れ、この地に渡来してきたという故事に基づき建てられた周の時代から長い歴史を持っている由緒のある観光地となっています。有名な武候祠や杜甫草堂に隣接する青羊宮は百花潭の北岸に位置し、歴史の中で何度か名称の変遷がなされ、青羊肆、青羊観とも呼ばれました。唐の中和元年(紀元881年)、唐の僖宗皇帝が黄巣の乱から逃れこの地に避難した際、土の中から「太上平中和災」と書いた玉の煉瓦を見つけたという逸話が残っています。唐僖宗皇帝はこれを太上老君が国の乱を鎮めてくれるために暗示した「お墨付き」である縁起を担ぎ、太上老君を「太上元元皇帝」として封じました。さらに莫大な国財を使って青羊観を建てなおし、その名を「青羊観」から「青羊宮」に改名し、「宮殿」クラスに昇格させました。その後、唐や宋の時代に青羊宮は道教の信奉の最盛期を迎えました。明の時代末期、戦火に焼かれて潰えましたが、清の時代には全ての建物が再建され、現在に至ります。青羊宮は敷地面積約12万平方キロメートル、主な建物は南北を走る中間線を中心として整然として配置されています。そして、この中間線は南から北にかけて次第に高くなり、順に「霊祖楼」、「混元殿」、「八掛亭」、「三清殿」(無極殿)、「玉皇閣」、「降生台」、「説法台」、「唐王殿」(紫金台)などが並んでいます。すべての建物おいてスケールが大きく、日差しが良く明るいです。特に「降生台」、「説法台」、「唐王殿」は三清殿の北にある10数mも高い丘に建てられた入母屋造りの建築様式で、人々を驚嘆させる力強さが感じられます。

   青羊宮の境内には清の時代光諸32年(1606年)に造られた銅羊、銅鐘、鉄の鼎、鉄の花瓶、鉄の燭台などの装飾品があり、重要文化財に指定されています。さらに1959年以降、境内には植物や花が植え付けられ、鑑賞や休憩の亭が建てられました。そして築山や人工湖を建造したことから散策のための閑静な小道が開かれました。このように青羊宮は当時以上に景色が綺麗になり、成都市の総合文化公園にまで成長しました。ここでは毎年農歴2月に成都の花の博覧会が行われ、多くの市民から親しまれています。

   また、青羊宮は道教に関連する『道蔵輯要』を貯蔵していることでも有名で、合計13000枚の白檀で両面を丁寧に彫刻されています。現在に至るまでの中国の道教を保存するものとして最も完璧な「木版」資料であり、貴重な道教の歴史的文化財でもあります。

   そして、青羊宮一とされる貯蔵品は青銅の羊像であり、三清殿の前に一対として飾られています。片方は一本角、もう片方は二本角でその巧みな細工と特徴的なデザインでお互い呼応するように並び、異彩を放っています。一本角の羊はニワトリの目と牛の鼻、ウサギの口、羊のヒゲ、ネズミの耳など十二支である12種の動物の特徴を持ち合わせ、病を治す十二支の化身とされています。また、羊の胸には陰刻隷書の「蔵梅閣珍玩」という立派な五文字が刻まれています。政府の宗教政策を緩和され、一般公開された青羊宮では、この二体の銅羊像が四川省保護文物として保存され、当初は三清殿に納められていました。2004年6月に成都で行われた国際道教文化祭にあたり、このオリジナルの銅羊像の三倍にあたる大きさの銅羊像がペアで開眼式において披露され、青羊を触り神の羊のご利益を頂くという古くからの慣わしが復活しました。