洛陽の文化

   洛陽市には5000年余りの文明史、4000年余りの都市史、1500年余り歴史を持っています。中華文明の源の一つで、中国古代四大発明の羅針盤、製紙術、印刷術はここで誕生ししました。道学や儒学、理学もここで発祥し、仏教は最初ここに伝えられました。シルクロードの東方起点で、隋唐大運河の中心でした。洛陽は「九朝古都」と呼ばれ、紛争期の国家を含めると、歴史上十三代にわたって洛陽に首都を定めました。「夏、東周、後漢、曹魏、西晋、北魏、隋、唐、後唐」など9つの王朝が洛陽に都を定めました。現在、二里頭遺跡、商王城遺跡、東周王城遺跡、漢魏洛陽城遺跡、隋唐洛陽城遺跡などの遺跡が保存されています。


   洛陽は中華文明の発祥地の一つです。当時、洛陽を中心とした河洛文明が生み出されました。宇宙人文字のような河図洛書は中国最古の歴史文献で、伏羲八卦太極図はここから派生したものです。それは文学の誕生と発展の地です。道学、儒学、玄学、理学の源はすべてここにあって、経学はここで繁栄し発展して、古代の賢者はここに集まり、輝かしい歴史の文化を持っていて、多くの歴史典故、古跡などを残しました。


   十三代の古都として、夏から唐に至る千年の歴史が積み重なって、洛陽には浓厚な歴史文化があります。二里頭遺跡の発見は、洛陽が夏王朝があったことを証明し、古くから中原の中心であったことを証明しています。遺跡から各種のすばらしい文物が出土されただけではなく、同時に「玉竜」も出土され、中華民族のトーテムとして長い歴史があることも証明しました。·        


   シルクロードは古代中国と周辺地域の経済文化と友好交流のきずなです。洛陽の西は山地丘陵で、牛馬で品物を運びました。洛陽の東は平原で、河が密集になっており、水陸の輸送は便利です。そのため、シルクロードの東方の起点となり、東西南北の商品貨物の集散地と商業貿易のハブとなりました。歴代の使者、商人、軍隊が後を絶たなかった列がこの東西のロードを踏み、中原、西域をアラブ、ペルシア湾と緊密に結びつけました。シルクロードは西に延びて地中海、フランス、オランダに至り、海路でイタリア、エジプトに至ります。東はすでに韓国、日本に達して、アジアとヨーロッパ、アフリカ各国につながって、中華文明と世界中の他の文明の交流と融合するロードです。