シガツェ古城

  8世紀にインドの高僧パドマサンババがこの地を通った時、山河が素晴らしかったのでここに留まり修行をして、ここがラサに次ぐ都市となると予言したという。1349年、パクモドゥパの大司徒チャンジュプゲンツェンはここに都市を建設した。 その名を「至高の如意成就荘園」を意味する「シーガ・サムトゥン・ドゥッペー・ツェモ」 とした。 現行の正式呼称「シガツェはその略称である。 1563年には、ツァントェ王を自称するニャクパ(シンシャクパ)政権の拠点となり、大きく発展した。1642年、ゲルク派信者のグシ・ハンによって陥落した際、壮麗な王宮は破壊されたが、以後もタシルンポ寺の門前町として繁栄した。それはシガツェ古城の由来である。
   シガツェ古城は歴代パンチェン・ラマの住まう場所である。パンチェン・ラマはゲルク派でダライ・ラマに次ぐ第二の高僧である。パンチェン・ラマが座主を務めるタシルンポ寺は街の南、山に沿って建てられている。それは広大な宗教と政治の機能を具えたシガツェ市の中心にしてゲルク派の四大僧院の一つである。街の東南にあるシャル寺は美しい壁画が数多く残る、ラマ教ゲルク派の起源の地で、11世紀に建設された。ナルタン寺、俄爾寺、安貢寺などの古い寺や住居が今もなお使われている。