コロンス島

アモイ島の西南に位置し、もとの名を園沙州といったが、明代にコロンス島と改名。面積1.78キロメートルの楕円形の小島で、島内住民は2万3000人。美しい景観から海上明珠、海上花園、また、ピアノの普及率が高く、有名ピアニストを輩出しているため、ピアノ島とも呼ばれる。
  コロンス島には西南側に2枚の岩があるのだが、長年の浸食を受けて真ん中に大きな縦穴が開いていて、満ち潮の時には波が岩をたたきつけると、まるで太鼓の響きのような音がきこえたことから、鼓浪石と呼ばれるようになった。これが島の名の由来。
  島の名が世間一般に知られることになったのは、明代末に鄭成功がこの島に兵を駐屯させ訓練を行ってから。彼は22歳のとき、明の隆武帝に国庫を豊かにするために対外開放することをすすめた。以来、アモイは貿易活動を推進した。
  南京条約(1842年)によって開港させられた後、1902年にコロンス島は共同租界地に定められ、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダなどの国が次々に領事館、商社、病院、学校、教会なども設立した。一方で華僑もまた住宅や別荘を建て、電気や水道のインフラも整備されていった。1942年12月に日本軍がコロンス島は占領したが、1949年の中国建国にともなって、コロンス島は100年以上続いた植民地統治の歴史を終えた。
  コロンス港で船を降りると前に龍頭路がある。その道を入ってすぐ左に折れる細い道があるが、そこを抜けると旧日本領事館などの共同租界時代の建築物が数多く残るエリアになる。現在は一般市民が暮らす住宅となっているが、ここはじっくり観光したい場所だ。
  コロンス島では車の使用が制限されており、島内を車で観光する場合は、渡し船乗り場から電動車に乗車することになる。